イザベラ・バード 「日本奥地紀行」

ひつじ話

東京との間に蒸気船が通行しているある村のところで別の川[渡良瀬川]を渡舟で渡り終えると、あたりの風景はいっそうすばらしくなった。
(略)
動物を搾乳や運搬のために、あるいは食肉用としても利用することはないし、草地も皆無である。
それで、田園も農家の庭もこの上なく静かで、まるで死んだようである。
貧弱な一匹の犬とわずかな鶏だけが各家で飼う動物や家禽を代表しているかのようである。
私はモーモーという牛の鳴き声やメーメーという羊の鳴き声が恋しくなってくる。

(略)

道は[阿賀川の]峡谷を眼下に見ながら山裾を縫うように続いていた。
川の対岸には灰色のすばらしい崖が展開し、その先に金色の夕陽に包まれて紫色に染まる会津の巨大な峰々からなる壮大な風景が見えた。
複数の寺院の青銅の鐘の、哀調を帯びた心地よい音が静寂にたゆたい、このような牧歌的な地域に一層ふさわしいはずの牛の声と羊の声がないこと[その声を聞きたいという思い]を忘れさせてくれた。

オールコック「大君の都」アンベール「続・絵で見る幕末日本」「ゴンチャローフ日本渡航記」など、幕末の西洋人による日本見聞記をいくつかご紹介したことがあるのですが、
こちらはやや時代が進んで、明治11年の日本を旅した英国人旅行家、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」です。
牛と羊が鳴かないと静かすぎて寂しい、というのは、わかるようなわからないような感覚です。
訳注によると、この表現は、旧約聖書サムエル記上15章にある、
「それならば、わたしの耳にはいる、この羊の声と、わたしの聞く牛の声は、いったい、なんですか」
という一文を意識したものとのことなので、あるいはキリスト教圏を遠く離れた場所を旅する寂しさなのかもしれません。

なお、ヴィクトリア朝の女性旅行家としては、バードの他にマリアンヌ・ノースをご紹介しています。ご参考にぜひ。

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『中国昔話集』より、「ほら吹き」

ひつじ話

昔、妻と一人娘がいるお百姓がいた。
(略)
やがて、頭のいい男に娘を嫁がせた。
この男もお百姓だったが、とてもずる賢かったし、時々人に悪ふざけがしたくなるたちでもあった。

(略)

こうして、さらに何回か婿にだまされた。
最後の場合には、婿が羊を二十頭ばかり買ってよそから帰ってきたところへお百姓が来合わせ、たくさんの羊を見て婿に訊いた。「この羊はどこから手に入れたんだい」
婿が「五つの海の龍王がくれたんですよ」と答えると、お百姓は金持ちになるために自分でも欲しくなった。
そこで婿に羊をもらいに自分と一緒に行くよう言いつけた。
二人は海辺へ行った。
今度も婿はもうある計略を練ってあった。
婿はお百姓をかめに入れ、自分は桶に入って、海に乗り出した。
そして自分は桶をたたきながら、お百姓にもかめをたたけと言った。
二人はたたきながらこう唱えた。
「桶、桶、かめ
五つの海の龍王さま
羊をちょっと分けとくれ」
さらに婿が、「お父さん、もう少し強くたたいて」と言うと、この愚か者も力いっぱいたたいたものだから、カキーンと音がしてかめが割れた。

「中国昔話集」から、もうひとつ。
以前ご紹介した、ナスレディン=ホジャバラガンサンティル・オイレンシュピーゲルの仲間のように見えますが、さて。

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月岡芳年 「和漢獣物大合戦之図」

ひつじ話

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月岡芳年の「和漢獣物大合戦之図」の一部分を。
幕末に描かれたこの作品では、動物になぞらえた日本軍と外国軍とおぼしきものたちが戦うさまが描かれています。その外国軍のひとりに、羊のような何者かが。

芳年の師匠にあたる歌川国芳については、時々お話しています。こちらでぜひ。

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『中国昔話集』より、「松に住む毛の生えた娘」

ひつじ話

さて忠庵という寺の門前には、枝葉を切ってもすぐにまた生えてくるふしぎな松があった。
ある日、老和尚は何日もこの松の葉が半分なくなったままになっているのに気づき、「何が食べているのだろう」と考えた。
その晩は眠らず、二つの目で、しっかり門の隙間から見張っていた。
真夜中になって月が出ると、ヒューヒューいう音とともに、木の上にふしぎなものが降りてきて、パクパクと松葉をしきりに食べだした。
全身、白い毛におおわれて、月に照らされた様子は綿羊そっくりだった。

「化け物だろうか、神仙だろうか」と考えて、和尚は翌晩二更の頃、熱々の生臭料理を一卓用意させて、松の下に置いた。
白い毛のものが、神仙ならまず食べないだろうが、化け物ならがつがつ食うだろうと考えた。
真夜中近く、和尚が宝剣を構えていると、白い毛のものが空から松に降りてきた。
においを嗅ぐと、よだれを垂らして松の下を見た。
四方を眺めまわし、やおらテーブルの傍らに飛び降りるや、魚をつかみ、肉をつかんでは、がつがつ口に放り込んだ。
老和尚は庵の門を開け、宝剣を振りかざして一喝した。
「おまえは何の化け物か」
白い毛のものは、手をまっすぐにして、飛び立とうとしたが飛べなかったので、ひざまずいて言った。

「化け物ではありません。邵家の嫁です」
和尚は宝剣を振りかざして、また一喝した。
「邵家の嫁なら、なぜこのような姿になったのか」
白い毛のものは恐れてぶるぶる震えながら答えた。
「邵家のふしぎな木を枯らしました。そうしたら、お姑さんが命で償え、と言ったので怖くて逃げました。
食べる物がないので松葉を食べて二月ほどしたら、体に白い毛が生えて飛べるようになりました。
山には松は少ししかないし、苦いのです。ただこの松の葉だけがとてもおいしくて、食べてもなくなりません。

「中国昔話集」から。山に入って松葉を食べて生き、空を飛べるようになった人は、普通「仙人」って呼ばれると思うんですが、このお話ではなぜか羊に。

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「ゲセル・ハーン物語 モンゴル英雄叙事詩」

ひつじ話

ゲセルは赤毛の神馬に乗って、魔王の城下まで来ると、城をとくと眺めて、それがいかにも高くて堅固だと知った。
彼は城門を探しあぐねて、ついに赤毛の神馬に命じた。

「赤毛の神馬よ、わしを乗せたまま城壁を飛び越して、城内へ金のシャー[羊の踝の骨を磨いて作った玩具。四面体を成し、各面に金属を流し込んであり、抛り投げて出た目を競う]をほうり投げたようにぴたりと着地せよ。
(略)

ゲセルは城外三十里の処に走り出た後、左手で馬のたてがみを手綱と共にしっかりつかみ、両足で馬の腹をきつく締め、右手で馬の尻を三回鞭打つと、大呼しながら駆け出した。
鏑矢の届くほどの近くまで来るや、“ハイドー、ハイドー! 進め、進め!”と連呼して、手綱をここぞとばかりに締めた。
すると赤毛の神馬が空中に駆け上がり、城内へ金のシャーが落ちたときのようなチャリンという音を立てて見事着地した。

モンゴルの長篇英雄叙事詩「ゲセル・ハーン物語」です。
英雄が敵地を攻略するにあたって、自らを羊の骨のサイコロにたとえる場面が。

時々お話している、羊の距骨を使った玩具(ナックルボーン、アストラガロス、シャガイ)と同じものかと思うのですが、金をあしらったりもするのでしょうか。

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『子不語』より、「地の果て」

ひつじ話

保定(河北省)の督標守備の李昌明がにわかに死んだ。
(略)

「わしの魂は飄々と風のまにまに東南方へ向かった。
やがて天はようやく明るくなり、砂塵もやや収まった。東北隅を見下ろすと、黄河が一筋流れている。
河岸に牧羊のものが三人いる。羊の色は白く肥え太って馬のようだ。
わしは牧羊のものに、わが家はどの辺であろうか、と聞いてみたが、答えなかった。
それからまた行くこと数十里、遠くに宮殿がぼんやりと見えて来た。
瓦はみな黄色い瑠璃でできていて、帝王の居所さながらである。

近づいてみると、二人の男が靴、帽子、袍、帯などの装束をして殿外に立っている。
世間の芝居に出てくる高力士や童貫のような出で立ちであった。
殿堂の前には黄金の扁額があって「地窮宮」の三字が書いてあった。

(略)

やや明るくなって殿内の鐘が鳴ったときには、風も霜も収まっていた。
また一人のものが出て来て言った。
「昨夜留め置いたものは原籍の地に返せ」
わしは例の二人に連れられて出かけることになった。
元のところで牧羊者にまたも出会った。男たちはわしを彼らに引き渡した。
「命によりこの者をお前らにあずける。家に連れ戻せ。我らは帰るからな」

先日「廟中の怪」をご紹介した『子不語』から、もうひとつ。なんだか楽しそうな臨死体験です。

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『子不語』より、「廟中の怪」

ひつじ話

一つの廟があって、関羽、張飛、劉備の三神像がまつられてあった。
廟門は長い年月鉄鎖でとざされていて、春秋の祭祀のとき鍵をあけるのである。
伝えるところでは中に怪物がいると言う。
香火を供える僧もここには敢えて住まなくなった。

ある日、陜西の客商が羊千頭を買い求めたが、日暮れてから泊まるところがないので、宿を廟中に求めた。
住民は鎖をあけてこれを入れてやり、事情を離してやった。
羊商人は腕力には自信がある。「心配ない」と行って扉をあけて入った。
群羊を廊下に放し飼いにし、自分は羊鞭を持ち、燭をとって寝についたが、心中こわくないわけはなかった。

三更になっても目が冴えて眠れない。
突如、神座の下で豁然たる音がして、何物かが躍り出た。
羊商人は蝋燭の光でこれを見た。
それは体長七、八尺、頭面は人の形をそなえ、両眼は漆黒ながら光を放ち、クルミほどの大きさである。
首より下は体じゅう緑の毛で覆われふさふさとして蓑衣のよう。
それが羊商人に向かって睨みかつ匂いを嗅ぐのであった。

以前、「糊をなめる子羊」をご紹介している、袁枚の怪談集『子不語』から、「廟中の怪」を。
お話では、羊商人は逃げきったんですが羊千頭がどうなったのか書いてないのです。気になる。

袁枚は、「随園食単」もご紹介しています。ご参考にぜひ。

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歌川国芳「狂画水滸伝豪傑一百八人」

ひつじ話

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「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳わたしの国貞」展カタログ

あけましておめでとうございます。今年もひつじnewsをよろしくお願い申し上げます。

さて、歌川国芳です。
梁山泊の好漢たちが集結して愉快に遊び倒す、パロディ水滸伝「狂画水滸伝豪傑一百八人」の「十番続之内 五」から。得物の槍を竹馬にしている双槍将董平の足元に、なぜか羊が。
この十番続のシリーズでは、他にも竜に乗って走りまわる入雲竜公孫勝とか、虎を手懐ける行者武松といった、キャラクターに合った動物たちとのからみがそこここに描かれているのですが、董平と羊って、なにかありましたっけ? お詳しい向きには、ご教示願います。

歌川国芳は、時々ご紹介しています。こちらで、ぜひ。

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バルトロメオ・マンフレディ(帰属)「羊を連れた洗礼者ヨハネ」

ひつじ話

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 「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」カタログ 

カラヴァッジョ追随者のひとり、バルトロメオ・マンフレディ作と考えられている、「羊を連れた洗礼者ヨハネ」です。
マンフレディは、以前、「イサクの犠牲」をご紹介したことが。

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エジプト新王国のクヌム神像。

ひつじ話

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アラバスター
高24センチ 台座:長18、幅13センチ
新王国(紀元前1200年頃)

エレファンティネ島にあると考えられたナイル川の水源の守護神として、また肥沃をもたらす毎年の洪水の発生力として、クヌム神は実際に全生物の創造者である。
彼は羊か羊頭の人間の姿で表される。

「オランダ国立ライデン古代博物館所蔵古代エジプト展」カタログ

古代エジプトの創造神クヌムの神像を。
クヌム神は、以前、同じく羊頭の小像をご紹介したことが。

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滴翠美術館の石羊。

ひつじ話

兵庫県芦屋市にある、滴翠美術館に行ってまいりました。

滴翠美術館は、六甲山の美しい翠巒(すいらん)を背景にした閑静な住宅街の一角に佇み、小鳥のさえずりや四季折々の草花が訪れる人を迎えます。
ここはかつて、大阪財界で活躍した山口吉郎兵衛氏の住宅でした。

この山口吉郎兵衛氏の収集品のひとつではないかと思うのですが、美術館の玄関先に石羊が置かれているのです。これは見に行かねばなりません。

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阪急芦屋川駅から、ゆるゆる歩いて十分ばかり。うろうろ道に迷いつつ、入り組んだ住宅街の奥に看板を見つけて、ほっと一息。
入り口右手の植え込みのなかに身を潜める石羊を発見して、すっかり嬉しくなってしまいました。

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背後にまわってもう一枚。
この、足を曲げて座り込んでるのがかわいくて良いですね。

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石羊は、これまでにいくつかご紹介しています。こちらでぜひ。

おまけ。阪急芦屋川駅前の「星座の広場」に、ファンシーな羊の絵が。待ち合わせに使われたりするのでしょうか。

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「ブリューゲルとバロックの巨匠」展。

ひつじ話

今週末まで愛知県岡崎市の岡崎市美術博物館で開催されている、「ブリューゲルとバロックの巨匠」展を、滑り込みで見てまいりました。

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岡崎市美術博物館公式HP 内 「ブリューゲルとバロックの巨匠」展

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以前ご紹介したことのある、グイド・レーニの「聖家族―エジプトへの逃避途上の休息」や、アブラハム・ブルーマールトの「羊飼いへのお告げ」などなどが展示されてまして、ヒツジ度高めです。ぜひぜひ。

こちらの展覧会は、この後、

姫路市立美術館  2017年2月8日─3月28日
山梨県立美術館  2017年4月15日─6月11日
佐賀県立美術館  2017年6月17日─7月20日
鹿児島市立美術館  2017年7月25日─9月3日

に、巡回が予定されている模様です。

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東大寺 十二神将立像。

ひつじ話

十二神将像などを目当てに奈良国立博物館まで行ったおりに、見られなかった東大寺の十二神将像のことが気になっていたのですが、
最近になって、未神像を含めた全12躯が載っている本の入手がかないました。

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十二神将立像

木造 彩色 像高99・0─110・7
平安時代 十一─十二世紀

頭上にいただく十二支獣の多くが造像当初のものであり、本来は別の存在である十二神将と十二支とが結合した作例として、早い時期のものといえよう。
寅神像や卯神像ほか数点の像の腹部に、獅噛(しがみ)に代えて十二支獣が表されていることも注目される。

未神像です。頭の上とお腹に、たしかになにかが。

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不乗森神社の十二支彫刻。

ひつじ話

愛知県安城市の、不乗森(のらずのもり)神社にお参りしてきました。
名古屋鉄道新安城駅から、北へ徒歩20分。車道から脇へ一本入ったとたんに、森閑とした森が目に入ってきます。

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当時社頭は、旧鎌倉街道に沿い「野路の宿」(現知立市八ッ橋町)と共に「宮橋の里」と称する駅次の所在地にして、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり馬に乗りし者は下馬して自ら敬虔の念をもって拝礼の上通行した。

故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社となる。

鳥居をくぐると、正面に神楽殿。

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今回の目的は、こちらの神楽殿を飾る十二支彫刻です。
未……未は、たぶん西南方向だから、ええと、……あ、いたいた。

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なんだか良い表情をした見返りヒツジが。
他の彫物たちもたいへん見事でしたので、下に。

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大根をかかえたラブリーなネズミとか、

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十二支とは別の場所にいた、これは、応龍でしょうか。

神社などの十二支彫刻は、これまでにいくつかご紹介しています。

高山祭の屋台「豊明台」、大阪は勝鬘院、多宝塔の蟇股大垣まつりの「相生やま」と「榊やま」大阪天満宮表門の方位盤松島は五大堂の蟇股、東京は上野公園の旧寛永寺五重塔の蟇股など。

ご縁があれば、ぜひぜひ。

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ジュリアン・デュプレ「羊飼いと羊の群れ」

ひつじ話

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 「ミレーとバルビゾン派の作家たち展」カタログ 

バルビゾン派を。ジュリアン・デュプレの「羊飼いと羊の群れ」です。
デュプレは何度かご紹介したことがありますので、こちらで。

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