「桃源遺事」

ひつじ話

西山公、むかしより、禽獣草木の類までも、日本になき物をば、唐土より御取よせなされ、又日本の中にても、其國にありて、此國になきものをば、其國より此國へ御うつし被成候、其思し召すゑに記す、
草之類
朝鮮人參 江戸駒込の御屋敷、并水戸にても御植候   薩摩人參   闌
(略)
獣の類
麞(ノロ) 北領の山に御はなち候   豪豬(ヤマアラシ) 山林に御はなち候
羊 年々子を生、餘多になり候、   綿羊 右同斷
(以下略)

 「桃源遺事」 

西山公こと第二代水戸藩主徳川光圀の言行録である、「桃源遺事」から。
先日の「日本幽囚記」にあるように、江戸期、外来の羅紗(ウール)がそれなりに流通しつつも、日本人の羊に対する知識はとぼしいものでした。なんとか産業として成立させようとした平賀源内の例についてはお話をしておりますが、さらに時代をさかのぼって、水戸光圀公も挑戦していたようです。しかも増やしてるし。ただ、羅紗を織ったりはしていないようですね。食用かな?
それはそうと、「羊」と「綿羊」が別なのが気になります。「環海異聞」もそうでしたが、なんなんでしょう、これ。

記事を読む   「桃源遺事」

ゴローニン 「日本幽囚記」

ひつじ話

「西洋では何の毛で羅紗を織るか」
日本側に羊の話をすると、ムール君は牡羊を描かされ、それから山羊を描き、遂には驢馬や、騾馬や、馬車や、橇などまで描かされた。
一口に云ふと、日本側では日本に居なくて、実物を見られない物は何でも紙に描いてくれと云ふのであつた。
しかし日本側ではいつでも非常に鄭重に頼むので、ムール君もその依頼をすつかり満足させるのは退屈で辛いことではあつたが、拒む気にならなかつた。
ムール君が非常に速く、自由に絵を描けたのは、同君のために幸ひであつた。

以前、江戸期にロシアへ漂流した日本人たちの記録である「環海異聞」「北槎聞略」をご紹介したことがあるのですが、同時代に日本にとらわれたロシア人の記録もまた存在し、ヴァーシリー・ゴローニンの「日本幽囚記」として知られています。
上の引用は、抑留中に受けた尋問(と呼ぶにはあまりに楽しそうな質問)のひとつ。絵心のある部下がえらい目にあってます。

記事を読む   ゴローニン 「日本幽囚記」

トーマス・セドン 「悪しき評議の丘から眺めたエルサレムとヨシャパテの谷」

ひつじ話

oka140718.jpg
oka140718bubun.jpg

19世紀イギリス、ラファエル前派のひとりトーマス・セドンの「悪しき評議の丘から眺めたエルサレムとヨシャパテの谷」です。ロンドン、テート蔵。

記事を読む   トーマス・セドン ...

ルノワール 「牛飼いの娘」

ひつじ話

usikai140715.jpg
ルノワールは、モネら印象派の仲間とともに1870年代には市民たちの憩うパリ周辺の風景に熱中していた。
しかし1880年代半ばには積極的に田舎風をめざすようになり、ブルターニュ滞在はまさにその意識の現れととらえることができる。
この作品にはほぼ同じ大きさ、同じ構図のややスケッチ的な油彩作品があり(フィッツウィリアム美術館)、そちらの方が現地で描かれ、こちらはその後翌年にかけてパリのアトリエで仕上げられたと見られる。

「ルノワール 異端児から巨匠への道1870-1892」展カタログ

以前ご紹介した、ピエール=オーギュスト・ルノワール「畑からの帰り道」の別バージョンです。

記事を読む   ルノワール 「牛飼いの娘」

サルバドール・ダリ 「雄羊(雌牛の亡霊)」

ひつじ話

ohituji140712.jpg

 「ダリ展 創造する多面体」カタログ 

20世紀スペイン、サルバドール・ダリの「雄羊(雌牛の亡霊)」です。

記事を読む   サルバドール・ダ ...

アレクサンドル・ドフォー 「農家の庭」

ひつじ話

niwa140710.jpg
niwa140710bubun.jpg
アレクサンドル・ドフォー
1826年9月27日にベルシーに生まれる。コローの弟子である。
(略)
風景画家、動物画家として、特に農村生活の様々な場面を好み、油彩と水彩で描写。
フォンテーヌブローの森の他に、オワーズやノルマンディでも制作した。1900年、パリに没す。

 「ミレーとバルビゾン派の画家たち」展カタログ 

19世紀フランス、アレクサンドル・ドフォーの「農家の庭」です。

記事を読む   アレクサンドル・ ...

堀田善衞 「スペイン断章」

ひつじ話

この羊なのである、カスティーリア・レオン地方などの中央部高地(メセタ)スペインを形成したものは。
従ってそれはスペイン自体を形成した、と言っても、それはほんの少しの誇張ということで許容量のなかに含まれるであろう。
スペイン・カトリックが追い詰められて南征の根拠地とした北部は山だらけの、何も生んではくれぬ土地である。
しかも、その山地から南へ打って出ても、中部高原もまた、地味の痩せた農耕不適地である。
そこで、羊を主とする牧畜が可能なほとんど唯一の生業であった。
農耕は多くの人手を必要とするが、牧畜となれば、一人で数十、数百匹くらいはまかなえるであろう。
食べさせる草がなくなればあるところに移動して行けばよろしい。
かくて、この国の歴史に大きな刻印を残すことになるメスタという制度が出来上った。
メスタとは、いわば牧羊協同組合のようなものであるが、これに入れるのは貴紳だけであって、これが王室と結んで様々な特権をもっていた。
その特権中最大のものは、羊の群れの通行権である。
百姓は農地に垣をつくってはならなかった。羊のお通りの邪魔になるからである。
(略)
この羊の大群からとれるいわゆるメリノ羊毛が、王室の収入源中最大のものであった。
しかしそれも要するに他のヨーロッパ諸国に対する原料提供というにとどまり、羊毛産業自体が成長するのはずっと後になってからのことであった。
羊毛の密輸出は死をもって罰せられた。
この羊毛の最大のお得意先は、英国とフランスであった。

堀田善衞の「スペイン断章」の中に、以前お話したスペインの移牧について触れられた章がありましたので、ご紹介を。
メリノ種については、こちらをご参考にぜひ。

記事を読む   堀田善衞 「スペイン断章」

椎名誠 「草の海―モンゴル奥地への旅」

ひつじ話

羊鍋はまず食べる羊を選ぶところからはじまる。
羊を飼っている牧民だからあたりは羊だらけである。
アユーシが一匹を選んだ。選定基準は一番近くにいたから、のようだ。
プロレスのヘッドロックのようにしてゲルの裏の草はらに連れてくる。
前肢と頭を腕でかかえ込むと、羊は人間の進む方向へ自分の肢で歩く。
そうするしかほかにやることがないからである。

椎名誠のモンゴル大草原紀行、「草の海」です。「肉の中で羊が一番好き」(本文より)という椎名氏が、訪れた先で受けた歓待を描く一章から。

記事を読む   椎名誠 「草の海 ...

「刺繍九羊啓泰図軸」

ひつじ話

名品「翠玉白菜」の到来で話題の、東京国立博物館の「台北 國立故宮博物院?神品至宝?」展に行ってまいりました。
まずはともあれ、前庭にたたずむ、朝鮮半島伝来の石羊にご挨拶を。根津美術館京都の野仏庵で見たものと似てますね。
P1030800.JPG
さて、白菜ももちろん外せませんが、行列無しで見られる他の展示品だってみごとなものばかりです。特にひつじ好きにとって白菜と並ぶ必見は、こちらの「刺繍九羊啓泰図軸」ではないでしょうか。

kyuuyoukeitai140628.jpg
絹製、刺繍   縦216.6 横63.8
元時代  十三?十四世紀
中央の太子は、気を吐く羊にまたがり、鳥籠をかけた梅枝を肩に担ぎ赤い龍袍をまとう。
君子が正月に、春を伴って訪れる様子を表したものであろう。

 「台北 國立故宮博物院?神品至宝?」展カタログ 

九羊啓泰については、こちらでお話をしたことが。

2014年6月24日(火) ? 2014年9月15日(月) 東京国立博物館
「翠玉白菜」展示期間[6月24日(火)?7月7日(月)]は無休、毎日20:00まで特別開館。
※ただし、6月30日(月)、7月7日(月)は特別展会場のみ開館し、総合文化展は閉室します。
2014年10月7日(火)〜2014年11月30日(日) 九州国立博物館

ご都合があえば、ぜひぜひ。

記事を読む   「刺繍九羊啓泰図軸」

三星堆遺跡の尊(続き)

ひつじ話

son140623.jpg
青銅 高44.6センチ 口径42.3センチ

「三星堆 中国5000年の謎・驚異の仮面王国」展カタログ

以前三星堆遺跡出土の尊をご紹介したことがあるのですが、他の作例を見かけましたので、改めて。
古代中国の青銅器のことは、時々お話しております。こちらをご参考にぜひ。

記事を読む   三星堆遺跡の尊(続き)

葛飾北斎 「書名不詳版下絵」

ひつじ話

hokusai140620.jpg
紙本墨絵3冊 各約14×21センチ
のちに刻板し、版本とすることを目的に描かれたこの版下絵は、全体の画様式や細部の筆癖、特徴的な修正方法などの手際を総合して、文政中期頃から天保4年(1823─33)頃にかけて北斎が制作したものとみられる作品である。
ただ書名、制作経緯と出版目的、全丁が完備しているのかなど、いまだ解明すべき問題の余地を多く残しているものといえる。

「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」カタログ

神戸市立博物館で2014年6月22日(日)まで開催中の「北斎」展に、「十二宮」と題された絵を含む版下絵が展示されている模様。「白羊宮」の部分が見られるようになっているかどうかはわからないのですが……。
神戸のあとは、北九州市立美術館分館、上野の森美術館に巡回するようです。お近くならば、ぜひ。

2014年4月26日(土)?6月22日(日) 神戸市立博物館
2014年7月12日(土)?8月31日(日) 北九州市立美術館分館
2014年9月13日(土)?11月9日(日) 上野の森美術館

なお、これまでにお話したことのある北斎についてはこちら、黄道十二宮関連のお話は、こちらをご参考にぜひ。

記事を読む   葛飾北斎 「書名不詳版下絵」

田中訥言 「十二支図押絵貼屏風」

ひつじ話

totsugen140616.jpg

 「尾張のやまと絵 田中訥言」展図録 

江戸後期、田中訥言の「十二支図押絵貼屏風」六曲一双のうち、「未」です。
黄初平図ですが、仙人らしからぬ、少年の姿で描かれているようです。
これまでお話したことのある黄初平については、こちらで。

記事を読む   田中訥言 「十二支図押絵貼屏風」

山本幸久 「一匹羊」

ひつじ話

ippiki140612.jpg
大神の勤める縫製工場のまわりにはなにもない。
そこではじめての来客のために、目印として、羊の形をしたアドバルーンをあげることになっていた。
十五年前、大神がはじめてここを訪れたときもそうだった。
明日が快晴であれば、羊が空を飛んでいるので、それを目指してきてください。
詳しい道順を訊こうと庶務に電話をしたときに、そう言われたものである。
雨の日はあげることができないのだ。
ヘリウムガスなので風の強い日も無理である。
近頃はカーナビが普及しているおかげで、羊はずいぶんとご無沙汰だった。

山本幸久の短篇集「一匹羊」から、表題作を。いきなり勇気や元気がもらえるわけではないけれど、まぁ、もうちょっとだけがんばってみるか、みたいな気持ちになれる、そんなお話が詰まってます。

記事を読む   山本幸久 「一匹羊」

コナン・ドイル 「緋色の研究」

ひつじ話

二、三時間もさがしまわったが、とうとうむだ骨におわったので、あきらめて帰りかけてふと頭上を見ると、ぞっとするほどうれしいものが眼にとまった。
三、四百フィート上の突き出た岩のはじに、羊のように見えて大きな角を生やした動物が立っているのである。
ロッキー羊(ビッグ・ホーン)と一般に呼んでいる動物だが、下からは見えないが、後ろにその大群がいて、一頭だけそこへ見はりに出ているらしかった。
しかもありがたいことには、見はり先生反対のほうへ向いて立っているので、猟人が下にいることには気がつかないらしいのである。
ジェファスンはすぐに腹ばいになって、銃を岩にもたせ、十分狙いをさだめてから、引き金をひいた。
動物はぴょこんと宙にとびあがったかと思うと、ちょっと崖のふちでよろめいてから、どさどさと下の谷へ落ちてきた。
獲物はおもくてとてもそのまま運べそうになかったので、ジェファスンは片股と脇腹の一部を切りとるだけで満足した。

シャーロック・ホームズシリーズの「緋色の研究」に羊が出てくることに、最近になって気が付きました。
といっても、オオツノヒツジ(ビッグホーン)ですが。第二部の半ばあたりで、荒野を逃亡する青年ジェファスンが食べるために狩っています。
以前お話したバットランドオオツノヒツジの記事でも、先住民が食用にしていたようですし、美味しいものなのでしょうか。

記事を読む   コナン・ドイル 「緋色の研究」

オールドノリタケの飾り皿

ひつじ話

kazarisara140604.jpg
手描羊飼絵飾り皿  1911─17年 径26センチ
motoe140604.jpg
アントン・ムーブの「春」(メトロポリタン・ミュージアム蔵)

オールドノリタケの絵皿と、その絵付けデザインの素材になった19世紀オランダのアントン・ムーブの絵を。
ノリタケは、アンティークでもなんでもありませんが、以前子羊の置物を買いに行ったことが。
アントン・ムーブは、「羊の群れの帰還」をご紹介しています。

記事を読む   オールドノリタケの飾り皿

PAGE TOP