「民族と色の文化史」

ひつじ話

赤色には家畜を守る役割もあります。
ネゲブ砂漠のベドウィンの習慣では、群れのなかの乳を出す雌羊は女性が所有することになっています。
女性たちはこれらの雌羊の毛を赤く染めて目立つようにします。
こうすれば自分の家畜を見分けることができ、また、悪霊たちに、家畜は怪我をしているか死んでしまっているのだと思い込ませて、群れから引き離すこともできるのです。
(略)
中近東では、油煙から得た黒インクに硫酸鉄を加えて改良していました。
顔料はきわめて細かい粉に砕かれ、インクにとろりとした質感をあたえました。
この、いわゆる「オリエント・インク」は、コーランを美しい書体で書けると重宝がられました。
マグレブ地方では、羊の尾の、とりわけ脂肪分の多い羊毛を燃やして煤のインクを作っていました。
羊毛の房を少量の塩といっしょに土製の皿にのせ、火にかけてあぶります。
こうして得た灰を、石を使って粉々にして水をかけ、ふたたび火にかけます。
できあがった塊は、冷めると硬く均一になるので、必要に応じて、小片を取って水に溶かします。
溶かす割合に応じて、黒や茶色のインクになるのです。

世界の色彩にまつわる文化を網羅した「色―世界の染料・顔料・画材 民族と色の文化史」から、羊関連の記事を。

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ベックマン 「西洋事物起原」

ひつじ話

シャルルマーニュは、冬に肩と胸を覆うような外套を着たが、外国の服を敵視して自国の毛皮だけを使い、ある写本の記事によると、カワウソの毛皮だけを用いた。
それなのに当時の宮廷では高価な東洋の毛皮が使われていたらしい。
というのも、シャルルマーニュは寒くて雨降りの日に従者と共に狩りに行くとき、羊の皮だけを着たが、従者のほうは、イタリアでヴェネチア人が商っていた高価な品物を知って、その外国製の布と毛皮でできた服を着ていたからである。
これらの外国製の毛皮は、十分に水を吸わせ、火で乾燥させると粉々になった。
シャルルマーニュは自分の羊の皮を乾かし、こすらせて廷臣に見せて、彼らの外国の毛皮の服を嘲笑った。

18世紀ドイツ、ヨハン・ベックマンによる技術史の古典『西洋事物起原』より、「毛皮の衣服」の章を。

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「ウールの衣服」展

ひつじ話

神戸ファッション美術館にて、ウールをテーマにした展覧会が開催されていると聞いて、泡を食って行ってまいりました。
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六甲アイランドのアイランドセンター駅前にある小さな美術館なのですが、中身は充実しています。古今東西の民族衣装が一堂に会する常設展示が、まず一見の価値有り。
こちらの「ウールの衣服」展では、いきなりオーストラリアメリノ羊の剥製が出迎えてくれました。びっくりしたびっくりした。

羊が人のくらしと歩みはじめて約一万年、人は豊かさを求めてウールを変化させてきました。
原毛、糸、布、民族衣装、ファッション、そしてアートへと、ウールの衣服は、身体を包むだけ でなく心を包むものにもなり、広がりを遂げてきました。
本展では、ウールの衣服の多様化、 魅力、可能性をご紹介しながら、豊かに生きるための衣服とはどのようなものか、私たちにとり 本当の豊かさとは何かを、皆様とともに考え見出してまいります。
2014年1月24日(金)?3月25日(火)
開館時間:10:00 – 18:00(入館は17:30まで)
休館日:水曜日

他にも、刈り取られたままのフリースが12種類、ずらりとエントランスに並んでいたり、糸紡ぎ体験会が開催されていたり。ひつじ天国です。時を忘れます。ぜひ。

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プッサン 「羊飼いの礼拝」

ひつじ話

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 「カンヴァス世界の大画家 14 プッサン」

17世紀フランス、ニコラ・プッサンの「羊飼いの礼拝」です。
後景に、羊飼いへのお告げの場面が。ボスの「キリスト降誕」エル・グレコの「羊飼いの礼拝」と似たパターンですね。
プッサンは、これまでに「聖家族、四人」「ディアナとエンデュミオン」をご紹介しています。

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「ニルスのふしぎな旅」

ひつじ話

つぎの日、雄の羊はニルスを背中にのせ、小カール島を案内してまわりました。
島は、ひとつの大きな岩でできていました。まるで垂直に切り立った壁に、平らな屋根がのっている巨大な円柱形の家のようです。
羊はまずその屋根の上にあがり、そこがすばらしい牧草地であることをニルスに見せました。
ニルスも、この島はまるで羊のためにあるみたいだと思いました。島の上には、羊が好きなウシノケグサやさらさらの香草しかはえていないのです。

セルマ・ラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』から、13章の「小カール島」を。
旅の途中、ゴットランド島沖の小カール島に住む羊の群れと知り合ったニルスたちは、彼らを襲う狐と闘うことになります。引用は、リーダー格の雄羊の背に乗って島を歩く場面。
「ニルスのふしぎな旅」については、ak様に教えていただきました。ありがとうございます。

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「北槎聞略―大黒屋光太夫ロシア漂流記」

ひつじ話


バランといふ。黒白斑(まだら)数種あり。毛ばかりとりて織物とし、肉を食料に充つ。
もつとも民用に利あるものなる故、家々に多く養ひおくなり。
らしやも羊の毛にて織る。羊毛を紡ぎ投梭(つきひ)にておる。
織たてたる時は常の木綿のごとくにて毛見えず、水をふき毛の剛き刷(はけ)にてすりたゝみおけば、毛起り出るとなり。

18世紀末、大黒屋光太夫のロシア見聞をもとにした地誌「北槎聞略」から、羊についての一文を。

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鳥と羊の頭部のフィブラ

ひつじ話

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パネンスキー・ティーネツ、ロウニ、ボヘミア、チェコ
ブロンズ、長さ10.2センチ、高さ2.6センチ、幅3.2センチ、重さ40.81グラム
おそらく紀元前4世紀第2四半世紀に北イタリアで制作され、ボヘミアにもたらされたと推定される。

 「古代ヨーロッパの至宝 ケルト美術展」カタログ 

紀元前4世紀のフィブラです。

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カカオ豆に似たなにか。

ひつじ話

チョコレートは、まずスペイン、それからイタリア、フランダース、そしてイギリスで飲まれるようになった。
最初はスペインの独占であった。1579年オランダの海賊船がスペイン船を捕らえたが、積んであったカカオ豆をみて、羊の糞といって、海に投げ捨てたことからも、その当時、カカオについての認識がなかったことがわかる。
しかし、17、8世紀にチョコレートの要求が高まるにつれて、フランスやオランダがその独占を崩しにかかった。

ウィキペディア内 チョコレートの歴史 及び ホット・チョコレート

季節柄というにはやや早い気もしますが、チョコレートのお話です。
ヨーロッパにおけるチョコレートの歴史は、16世紀のスペインによるメソアメリカ征服から始まりました。
薬効への期待やキリスト教聖職者たちによる愛用、王室間の結婚などによって広まっていきましたが、初期のころには、ずいぶんもったいないことが起きていたようです。なんてことを。

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ポルトガル王宮の湯沸

ひつじ話

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湯沸(一式)
フランソワ=トマ・ジェルマン(フランス) 1762年
ポルトガル王宮の豪華な食器セットには、形態に優れた華麗な銀製正餐用食器一式のほかに、18世紀のヨーロッパで流行したエキゾティックな飲み物(茶、コーヒー、ココア)を喫するための食器が含まれている。

 「ポルトガル―栄光の500年展」カタログ 

18世紀、ポルトガル王宮のために作られた湯沸です。スタンドの三脚部分が羊。

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「子ヒツジかんさつノート」

ひつじ話

スノーウィはまっ白で小さな子ヒツジだった。
おかあさんが病気にかかったせいで、予定よりはやく生まれてきたということだ。
「かわいそうに、スノーウィのおかあさんは死んでしまったんだ。だからいまは、ぼくたちの手で育ててるんだよ。ミルクは哺乳ビンを使って飲ませるんだ」
マンディは目をぎゅっとつぶっていのった。
スノーウィを見てしまったいま、ほかのどの動物よりも、この子の担当になりたい!

ルーシー・ダニエルズの児童文学「こちら動物のお医者さん」シリーズの一冊、「子ヒツジかんさつノート」です。
動物が大好きなマンディは、農園での校外学習で子ヒツジの世話をすることになるのですが……? 引用は、無邪気で愛らしい子ヒツジ「スノーウィ」との出会いの場面。
こちらの本は、ak様に教えていただきました。ありがとうございます。

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シャルル=エミール・ジャック 「家畜小屋の羊と鶏」

ひつじ話

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 「ミレーとバルビゾン派の世界」展カタログ 

シャルル=エミール・ジャックの「家畜小屋の羊と鶏」を。
ジャック、及びバルビゾン派はずいぶんご紹介しております。ジャックはこちら、バルビゾン派についてはこちらでぜひ。

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トマス・ゲインズバラ 「犬と水差しと少女」

ひつじ話

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18世紀イギリス、トマス・ゲインズバラの「犬と水差しと少女」です。
これまでにご紹介してるゲインズバラは、こちらで。

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司馬遼太郎 「モンゴル紀行」

ひつじ話

白い包のむれもあり、緑と茶の単調な色面のなかに、まれに胡麻をびっしり撒いたような色彩もみられる。かすかに動いているらしい。よくみると、羊群であった。
高原へは、なおのぼり傾斜なのかどうか。大地の起伏がはげしく、その一つ一つは山や谷といっていい。山は風を受ける斜面はあらあらしく赤茶けていて、一方、風の裏側の斜面は、いかにも人間をやわらかく許容する緑である。その緑の斜面へ羊群が面をなしてのぼってゆく。
(略)
「これは、何のにおいですか」
と、ツェベックマさんをふりかえった。彼女は馴れているせいか、私の質問をちょっと解しかねる表情をした。が、やがて、
「ゴビの匂いよ」
と、誇りに満ちた小さな声でいった。
人さし指ほどの丈のニラ系統の草が、足もとでごく地味な淡紫色の花をつけている。それがそのあたり一面の地を覆い、その茎と葉と花が、はるか地平線のかなたにまでひろがっているのである。
その花のにおいだった。空気が乾燥しているため花のにおいもつよいにちがいなく、要するに、一望何億という花が薫っているのである。
「羊の好物」
と、ツェベックマさんがいった。

司馬遼太郎の「モンゴル紀行」から、それぞれウランバートルとゴビ草原での一場面を。

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ルーラント・ロッホマン 「旅人のいる山岳風景」

ひつじ話

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銅版画家ヘンドリック・ランベルツゾーン・ロッホマンとマーリア・サーフェリーの息子。
おそらく大伯父のルーラント・サーフェリーに因んで命名されたのであろう。

 「17世紀オランダ風景画展」カタログ 

17世紀オランダ、ルーラント・ロッホマンの「旅人のいる山岳風景」を。
引用の解説にあるルーラント・サーフェリーについては、こちらでご紹介しています。

記事を読む   ルーラント・ロッ ...

「ビーグル号航海記」

ひつじ話

この牧場に滞在中、当地にいる牧羊犬を見聞したことが楽しかった。
遠乗りをすると、人家や牧童から何マイルも離れたところで、一、二匹の犬に護られた羊の大群をふつうに見かけるのだ。
ここまで堅固な信頼関係がどうやってできあがったのか、知りたくなることもしばしばだった。
犬の躾けかたは、まず子犬のうちに母親から離し、将来の仲間たちといっしょにするのが肝心である。
牝羊を一日に三、四回子犬にあてがって乳を吸わせ、羊小屋に羊毛の寝床をつくっておいてやる。
ほかの犬や家族の子どもたちとは絶対に遊ばせない。
さらに、子犬を去勢してしまうのが通常のやりかただ。
そうすると、育ったあとでほかの同類に関心をほとんど示さなくなる。
ここまで躾ければ、犬は羊の群れから離れようとしなくなる。
別の犬が主人である人間を護るのとまったく同じように、牧羊犬たちは羊を護る。
わたしが羊の群れに近づくと、犬がすぐ吠えはじめ、羊たちも最年長の一頭のまわりに集まるかのように犬のうしろにかたまる光景は、おもしろい見ものである。

あけましておめでとうございます。本年も、ひつじnewsをよろしくお願い申し上げます。
さて、ことし最初のひつじ話は、チャールズ・ダーウィンの「ビーグル号航海記」から。最近出たばかりの荒俣宏による新訳版より、「第8章 バンダ・オリエンタルとパタゴニア」の中の一場面を。
ダーウィン関連、といって良いのか微妙ですが、「世界を旅した女性たち―ヴィクトリア朝レディ・トラベラー物語」をご紹介したことがありますので、こちらもご参考にぜひ。

記事を読む   「ビーグル号航海記」

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