マザーグース 「いちのたつひに」

ひつじ話

As I was going to Derby,
Upon a market day,
I met the finest ram, sir,
That ever was fed on hay.
This ram was fat behind, sir,
This ram was fat before,
This ram was ten yards high, sir,
Indeed he was no more.
The wool upon his back, sir,
Reached up unto the sky,
The eagles build their nests there,
For I heard the young ones cry.
いちのたつひに
ダービーへいくとちゅう
せかいいちのおひつじにであった
あれでもほしくさくっていたのか
うしろのほうもまるまるこえて
まえのほうだってまるまるこえて
せたけはなんと十ヤード
ほんとにかけねのないところ
せなかにはえたようもうは
そらにもとどくいきおいで
わしがそこにすをかけていた
ちゃんとひなのなくのもきこえた

ときどきご紹介しているマザーグースをもうひとつ。
「いちのたつひに」の冒頭部分です。

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マルティヌス・ロールビー 「ローマ近郊、カンパーニャ地方の羊飼いの少年」

ひつじ話

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 「スコットランド国立美術館展」カタログ 

19世紀デンマーク、マルティヌス・ロールビーの「ローマ近郊、カンパーニャ地方の羊飼いの少年」です。
デンマーク黄金時代の理想化された自然の情景。

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大英博物館展 100のモノが語る世界の歴史

ひつじ話

先日の第67回正倉院展に続いて、展覧会情報を。
以前お話したことのある、メソポタミアの謎の箱「ウルのスタンダード」。
こちらの現物を、神戸市立博物館で開催中の「大英博物館展 100のモノが語る世界の歴史」で見られるようです。

会期 2015年9月20日(日)―2016年1月11日(月・祝)
会場 神戸市立博物館
開館時間 平日、日曜日 午前9:30─午後5:30(入館は午後5:00まで)
       土曜日 午前9:30─午後7:00(入館は午後6:30まで)
休館日 月曜日、10月13日(火)、11月24日(火)、12月29日(火)─2016年1月1日(金・祝)
     (ただし10月12日(月・祝)、11月23日(月・祝)、2016年1月4日(月)、11日(月・祝)は開館)
ウルのスタンダード
メソポタミアの古代都市ウルで、王家の墓から見つかった「箱」。
贅沢な素材が使用され、ウルが経済的に豊かで盛んな交易を行っていたことがわかる。「スタンダード(軍旗)」と通称で呼ばれているが、用途は不明。
片面には祝宴の様子が、もう片面には戦争の様子がモザイクで描かれている。
豊かさが階級社会を生み出し、また豊かさを保つために近隣部族との覇権争いが繰り広げられたことが読み取れる。

ぜひとも。

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第67回正倉院展

ひつじ話

先日、正倉院宝物の毛氈が羊毛であることが証明されたとのニュースをご紹介したのですが、そのフェルトの品が次回の正倉院展にて出陳される模様です。

会期  平成27年10月24日(土)─11月9日(月) 全17日
会場  奈良国立博物館 東新館・西新館
休館日  会期中無休
開館時間  午前9時─午後6時
※金曜日、土曜日、日曜日、祝日(10月24日─25日、10月30日─11月1日、3日、6日─8日)は午後7時まで
※入館は閉館の30分前まで
主な出陳品
花氈(かせん)
花氈は今日のフェルトと同様に獣毛を縮絨(しゅくじゅう)させて作った文様(もんよう)入りの敷物。
本品は大型の1枚で、裏面に「東大寺」印が3顆捺(お)されており、東大寺所用のものと考えられる。
近時の調査で羊毛が使用されていることや製法が明らかになった。

これは楽しみです。
正倉院宝物のお話はときどきしておりますので、こちらで。

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気球と羊の関係。

ひつじ話

ごく初めから気球に興味を抱いたのは、ショーマンと科学者だった。
ショーマンたちは、スリルにとんだ見世物に仕立てて、ひとやま当てようとした。
その一人がジャン・ピエール・ブランシャールという男である。
(略)
ブランシャールはイギリス海峡横断で一躍名をあげたが、その後ヨーロッパの主要都市を回って、たびたび飛行を披露した。
フランス革命が起る前の1785年11月19日には、まさに九死に一生の大冒険飛行をやってしまった。
ベルギーのケンから飛び立ったのだが、安全な上昇に必要な砂袋の重さを計算違いしたため、まるでロケットみたいに急上昇し、あっというまに3万2千フィート、つまり6マイルもの高さに昇ってしまった。
(略)
ブランシャールはこの事故にもめげず、その後も何回となく飛びつづけて、新しい技術で大衆をあっと言わせようと、小型のパラシュートで犬やその他の動物を落下させる、という感心できないアイディアを思いついた。

先日ご紹介した「ほら吹き男爵の冒険」に出てきた気球乗りの男と羊ですが、なにか元になった事実があるのではないかと「気球の歴史」を繰ってみましたら、こんなお話が載せられていました。これでしょうか、やっぱり。いやしかし、なんてことを。
なお、モンゴルフィエ兄弟の気球にも羊はのせられているのですが、こちらは、人が乗っても大丈夫かどうかを確かめるためのまっとうな実験だったらしいです。

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アフガニスタンの放牧風景。

ひつじ話

パシュトゥーンの牧夫たちが放牧に用いる道具は、ごく普通のものである。
まず、二メートルほどの杖。それは、ヒツジをたたいたりついたりするほか、牧夫が深い溝を飛び越えたりするときにも用いられる。
しかし、この杖のなによりも不可欠な用法は、隣近所のテント集落のイヌに襲われたときに、それを撃退することである。
多くのイヌは獰猛で、走っている車に吠えながら追いつき、体当たりするくらいである。多くの牧夫の足には、イヌに噛まれた傷跡がある。
この杖に、頭のターバンを載せて高く掲げることは、羊群には強い刺激となる。群の動きを急に止める必要があるときに用いられる。
(略)
杖や投石器以外、牧夫だけが用いる道具はない。
パシュトゥーン遊牧民の家畜群所有者も、雇われた牧夫も、質を別にすれば、同じような袖の長いチャパンという外套をはおっている。
彼らが袖に手を通すのは、冬季だけである。このチャパンが、夏の牧野の野外での寝泊りに重要なことはすでに述べた。
このチャパンについて重要なことは、これを着て両腕を横に広げると、牧夫の体が幅三倍くらいに見えることである。
当然、こうすることによって牧夫は羊群に強い視覚的な刺激を与えることができ、急に群の動きを止めることが可能になる。

松井健による、アフガニスタンのパシュトゥーン遊牧民などへの調査が非常に興味深い、「遊牧という文化」から、放牧の技法に関する章を。
チャパンというと、ハーミド・カルザイ氏が羽織ってたやつ、というイメージが強いかと思うんですが、そんな使いかたをするものだったとは。

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「ポントルモの日記」

ひつじ話

木曜日の朝、眩暈がして一日中続いた。
それ以来気分が悪く頭がぼんやりしていた。
木曜日の晩は旨い去勢羊のミネストラと砂糖大根のサラダ。
金曜日の晩、砂糖大根のサラダと卵の魚にした卵を二つ。
土曜日、断食。
日曜日の晩は枝の主日の晩で、夕食に茹でた去勢羊とサラダを少しずつ食べた。
それに三クァットリーノのパンを食べたはずだ。
月曜日の晩は夕食の後とても元気があって具合が良い気がした。
レタスのサラダ、旨い去勢羊のミネストラ、それに四クァットリーノのパンを食べた。

16世紀フィレンツェの画家、ヤコポ・ダ・ポントルモが最晩年につけていた日記です。おそらくは健康管理を主目的としており、そのためか食事の話が延々と続きます。……羊肉、多いですね。

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ビュルガー編 「ほらふき男爵の冒険」

ひつじ話

いやしかし、綺麗に金のメッキをした駕籠がですナ、円屋根の一番でかいのより更に周囲がある巨大な気球にぶらさがって、ワガハイの舟から二尋ほどのところに、落下してきたときの、ワガハイの驚きをまあ御想像下され。
駕籠には男一人と羊半匹が乗っており、羊はどうやらこんがり焼けているようす。
(略)
ま、そうはいっても目下の彼氏はです、落下のせいでよほど調子が狂ったか、ほとんど一言も口がきけないくらいでありましたが、しばらくたって回復すると、こんな報告をしてくれました。
「 (略) こいつでイギリスのコンウォール岬から飛びあがりました。羊をのっけたのは、上を見上げて口あいてる何千の見物衆の前で、空からひとつ奇術をみせてやろう、と思ったんです。
運悪く上がってからたった十分も経たないうちに風が急に変わりやがって、降りる予定のエクスターの方へ行く代わりに、海の上へ吹き流されちまい、どうやらそれっきりずっと、計測りようもない高いところを漂ったらしいです。
羊の奇術ができなかったのは、幸運てましたね。なにしろ空中飛行も三日目となると、あっしはひどく腹が減りましてね。可哀そうだが羊を殺らざるをえなかった。
その時はお月さんの上空遥かに昇ってまして、それから更に十六時間も上昇すると、遂に太陽にえらく近くなって眉毛が焦げるほどだった。
そこであっしは皮を剥いでおいた羊を、太陽が一番強くあたるところ、つまり言いかえりゃ、気球の影が落ちない所に置きましてね、このやり方で四十五分ばかりもたつと、完全な丸焼一丁あがりってわけで。この焼肉であっしはずっと生きてきました。」

ビュルガー編の『ほらふき男爵の冒険』より、「ミュンヒハウゼン男爵の海の冒険」第四話を。この「そんなバカな」感がたまりません。

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マンデヴィル「東方旅行記」(続き)

ひつじ話

以上の島々から海路でなん日も東へむかうと、マンシーと呼ばれる一大王国に達する。
(略〉
また、この国には、羽毛のない白い牝鶏がいて、わが国の羊みたいに、まっ白い羊毛をはやしている。

第二十二章より

こんどは、カタイの国の彼方にある国々や島嶼について話したい。
(略)
さて、この国土からさらに進むと、バカリイに達するが、そこには凶悪な人間がたくさん住んでいる。
また、国内には、まるで羊のように、羊毛を生み出す樹木があって、人々はこれで布を作る。

第二十九章より

先日の、マルコ・ポーロ「東方見聞録」(続き)から勢いづきまして、やはり昔お話をしたマンデヴィル「東方旅行記」を読みなおしてみました。
以前は植物羊関連のお話ばかりをしていたのですが、他にも少しだけヒツジに触れた箇所があるようです。羊毛牝鶏については、挿絵をご紹介したことも。

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谷泰「牧夫の誕生」より。

ひつじ話

草の支給量に対してもはや肉の取得量が増加しない成長期を過ぎた雄は、確実に徒食者と見なされることになる。
こうして、一歳半から二歳までの雄を殺すためだろう、動物考古学者は、残存消費遺骨のなかで、ある段階から、この年令以上の雄が減少するという一般的事実を確認している。
(略)
しかもこの消費戦略が、その後、西アジアの牧民のもとで、変わらず実施され続けられたことは、歴史的資料からも確認されている。
たとえば紀元前1000年期の新バビロニア時代の委託家畜の記録でも、家畜群の性・年齢構成において、雌に対する雄の頭数はきわめて少ない。
またシュメール時代、周辺地域から貢納としてもたらされた羊・山羊のほとんどが雄である。
そしてこのような雄が、神殿において供犠獣として用いられている。
周辺地域の牧民たちは、群れを殖やすに役立つ雌は資本財として手元に残し、間引くべき雄は流通財として貢納として出した。
そこに見られる性差に応じた財としての差異化も、再分配の中心である神殿での供犠における雄の特化も、まさにこういう初期牧畜の成立以後ずっと維持されてきた家畜経営戦略を前提することなしには成立しえなかったことと言ってよい。
しかも、この一歳を過ぎた段階で幼雄を一斉に間引くというプラクティスが、ヘブライズムでの過ぎこしの祭り、キリスト教での復活祭、またイスラムのラマダンあけの祭りで、当歳の雄を殺して食するという慣習の背景にあることはすでに指摘した。

先日の、乳加工食品の成立についての論考があまりにおもしろかったので、改めて、同著者の「牧夫の誕生」を読んでみました。引用は、羊・山羊の家畜化以後の技法的展開に関する部分。やはり刺激的です。

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渡辺崋山 「十二支図巻」(部分)

ひつじ話

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「渡辺崋山・椿椿山が描く花・鳥・動物の美」展カタログ

江戸後期、渡辺崋山の「十二支図巻」より、羊の部分を。愛知県、田原市博物館蔵です。

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マルコ・ポーロ「東方見聞録」(続き)

ひつじ話

チパング諸島に住む偶像教徒は、マンジやカタイの偶像教徒と同じ系統に属しており、その奉ずる所も同様に、牛・豚・犬・羊その他の動物の頭をした偶像である。
一頭にして四面の偶像もあれば、本来の首に加えて両肩の上にもう一つずつの首をそなえた三頭の偶像もある。
腕が四本もしくは十本・千本もある偶像すらあって、特に千手を具した偶像は最高の地位を占める。

以前、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に出てくる巨大ヒツジのお話をしたことがあるのですが、さて、では我らがジパングについては、ヒツジ関係でなにか言ってくれてはいないものかと確認してみましたら、こんな記述がありました。
「三頭」や「千手」については千手観音などを連想すれば良いかと思うのですが、「動物の頭をした偶像」というのがわかりません。
十二生肖の像が近いような気もしますが、さて。

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島田元旦「黄初平図」(続き)

ひつじ話

江戸時代の羊図は、十二支図や動物図鑑として伝わったものを参考に描かれたものが少なくない。
しかし、1817年(文化14)には、巣鴨の薬園で幕府による日本初の緬羊飼育が行われたことなどから、絵師の中には実物を見たことのある者もいたと考えられる。
(略)
原本はおそらく羊飼いをテーマとした銅板だが、そのためか羊がとても可愛らしい。
江戸生まれの元旦は谷文晁の弟で、のちに島田家の養子となった。
緬羊飼育の責任者だった渋江長伯を隊長とした蝦夷地調査にも加わり、アイヌ絵を描いたことでも知られている。

江戸期のヒツジの微妙な立ち位置についてはわりとよくお話しているのですが、そちらに関連して。
以前ご紹介した島田元旦「黄初平図」ですが、実物を見て描いた可能性が示唆されています。
渋江長伯の巣鴨の薬園についてはこちら、画題の「黄初平」についてはこちらをご参考にぜひ。

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「山海経」の脂肪尾羊。

ひつじ話

郭璞は大月氏国には驢馬ほどもある大形の羊がおり、尾は馬の尾に似ているといっている。
カンヨウとは西アジア・中央アジアに分布していたいわゆる太尾羊のことであろう。
この種の羊は尾の付け根の両側に相当量の脂肪の塊があり、その臀部の脂肉を切り取り、それで乾肉を作るとともに、その切り口を縫合しておくと、また臀部の脂肉が旧に復するという。
カンヨウはいわば取っても取ってもいっこうに減らない脂肉の貯蔵庫だというわけである。(榎一雄「大月氏の太尾羊について」)。
銭来山麓の人びとは、セキ、つまり、厳寒時に手足に生じた皹・あかぎれなどを治すために、カンヨウの脂肉を手足に塗ったのである。

先日、「遊仙詩」をご紹介した郭璞ですが、むしろこの人物は「山海経」の注釈者としてのほうが有名なのではと気が付きまして、羊に似た怪異についてなにか言っているのではないかと解説書を開いてみましたら、ありましたありました。
以前にお話したことのある「シンヨウ」(こちらの本では「カンヨウ」になってますが、同じものかと)は、実在の脂肪尾羊と関連させて考察することが可能なようです。

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郭璞 「遊仙詩」

ひつじ話

京華遊俠窟    京華(けいか)は遊侠の窟、
山林隱遯棲    山林は隠遯の棲。
朱門何足榮    朱門 何ぞ栄とするに足らん、
未若託蓬萊    未だ蓬莱に託するに若かず。
臨源挹清波    源に臨んで清波を挹(く)み、
陵崗掇丹荑    崗に陵(のぼ)って丹荑(たんてい)を掇(と)る。
靈谿可潛盤    霊谿(れいけい) 潜盤(せんばん)す可し、
安事登雲梯    安んぞ雲梯に登るを事とせん。
漆園有傲吏    漆園に傲吏(ごうり)有り、
萊氏有逸妻    莱氏に逸妻有り。
進則保龍見    進めば則ち竜見を保てども、
退為觸藩羝    退いては藩(かき)に触るる羝(ひつじ)と為る。
高蹈風塵外    風塵の外に高踏し、
長揖謝夷齊    長揖して夷齊(いせい)に謝せん。

晋代の文学者郭璞による「遊仙詩」を。
世俗を捨てて仙境に隠遁したい、といった内容ですが、その中に「いったん疎んぜられたら、そのとき隠退しようとしても、もはや身動きできないのだ。」(同書解説より)という意味で、以前お話した「易経」の「触藩羝」の語が使われています。

記事を読む   郭璞 「遊仙詩」

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