江戸期における羽織の歴史。

1616年、日本に羊毛製品を持ち込んだ英国商館員の本国への報告にあるように
「日本人は、黒、赤などの原色を好み」中間色の毛織物はほとんど売れなかった。
従来の衣生活にはなかった黒と猩々緋の染色のものが、舶来好みとして強烈に志向されたのであった。
少し時代が下がると、羽織に袖がついてくるようになった。広い短い袖である。
袖のついた羽織─つまり陣羽織は、いずれも舶来の毛織物や天鵞絨地である。主体は羅紗である。
上の者が豪華に装えば、下の者もこれに倣って豪奢の風を追う。
羅紗の羽織は一般武士も着用するようになっていった。
一見、陣羽織風ではあるが、豪華な「縫取り」模様はなくなって、やがて無地に近くなり、代わりに、背中に大きな家紋がつけられた。
(略)
羽織は道中の服であり旅行用のものであったが、広く一般に重宝がられて普及すると、道中だけでなく、室内の座敷着として、これをつけて客人と応対するようになり、江戸末期になると、これに袴を加えて一対となして、それを「羽織袴」と称するようになった。
高貴の人や主君の前では羽織は着用しなかったが、それ以外の一般の場合には、これが正装となり、また礼服となった。
布地としては、いろいろ使われたようだが、羊毛加工品は依然として衰えていなかった。

緋羅紗地丸紋付陣羽織白羊毛皮付き羽織、はたまた司馬遼太郎の「胡蝶の夢」などで、江戸期に普及した羊毛の羽織のお話をしているのですが、「羊毛の語る日本史」にわかりやすい解説がありましたのでご紹介です。

ひつじ話

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