「封神演義」の梅山の七怪

ひつじ話

翌朝、楊顕、戴礼、金大升の三将は肩を並べて、営門に現れた。姜子牙を名指して戦いを挑む。 (略) 営門を出た楊戩は、現れた三人の新顔にすかさず照妖鑑を向ける。狼と山羊と水牛の姿が映し出された。 (略)
「袁元帥麾下の大将、金大升だ。下乗して縛につけば命は赦す」
と「水牛」」は一人前に名乗りをあげた。
「オレは戴礼じゃ」
と「狼」が名乗る。
「楊顕と申す」
と「山羊」は優雅に名乗った。三人とも、それぞれに名のあるのが嬉しく、名乗りをあげるのが、いかにも楽しそうである

中国明代に成立した「封神演義」は、殷周革命を舞台に大量の仙人や妖怪が暴れ回るお話ですが、その中に、「梅山の七怪」の一人、楊顕という、羊の化けたのがしっかり混じってます。引用の訳では「山羊」になってますが、どうも羊や羚羊とごっちゃになっていて、どう受け取ってもさしつかえないようです。・・・羊だと、すごい弱そうですけど。

記事を読む   「封神演義」の梅山の七怪

ブッケロ容器

ひつじ話

ブッケロ容器
ラッパ状の高脚の上の垂直の側面をもつ杯部では、突き出した口縁上に4つの動物頭部とボタン状の突起が交互に並んでいる。その首はジグザグ文(2つの牡羊)とロゼッタ文(2つの牡牛)によって装飾されている。

バチカン美術館、グレゴリウス・エトルリア美術館所蔵の「ブッケロ容器」です。ブッケロというのは、エトルリアの黒色陶器のことですね。つやつやしてます。

記事を読む   ブッケロ容器

龍の角とひつじ

ひつじ話

 中国の文化は、ある意味で、
 ―龍文化。
 と呼んでいい。龍は中国の帝王にたとえられる。顔は馬で農耕、躰の鱗は魚で漁業、足の爪は鳥で狩猟、角は羊で牧畜といった具合に、中国の四大生産手段を象徴する存在で、それらを束ねる形で王に擬せられている。「龍顔」といえば、天子の顔、「龍駕」というと、天子の駕を意味する。

記事を読む   龍の角とひつじ

生け贄の羊の置かれた祭壇

ひつじ話

羊の祭壇 羊の祭壇(裏側)
この彫刻―祭壇の形式と連続ドリルの多用から見て、フラウィウス帝時代の末期かトラヤヌス帝時代のものと思われる―は、毛皮の色彩的効果に富んだ表現や死んだ動物のだらりと力のぬけた姿に見られるように、場面の緊密な自然主義探求を特徴とする質の高い作品である。

バチカン宮殿、ピウス・クレメンス美術館所蔵の「生け贄の羊の置かれた祭壇」です。1世紀末から2世紀初頭のもの。裏から見ると、はらわたが出てます。

記事を読む   生け贄の羊の置かれた祭壇

寓意詩画集のひつじ

ひつじ話

 比喩は、抽象的表現を、感覚的表現で説明したものだが、そうした感覚的表現そのものはやはりことばである。しかし、抽象的表現を絵画で説明するというテクニックも昔から存在した。
 東洋の場合は、十牛図がそうであるが、十六、七世紀のヨーロッパで流行した emblem book (「寓意詩画集})がその代表であろう。これは象徴的または寓意的な絵を集めた本であって、いちいちの絵には、それに対応する詩句、格言、教訓がついている。 (略)
狼わなの烙印を押された羊
 ところで羊の烙印に関してであるが、例の「寓意詩画集」の中の詩で、皮膚に狼わなの烙印をもつ羊のことが歌われている。そしてその烙印はけっして恥ずべき醜いものではなく、むしろ栄誉をもたらすものであり、人間に関していえば、神の烙印は彼が神に属し、神の庇護下にあることを保証するものだとされている。 (略)
羊の毛を剪る羊飼
 剪毛者のイメージは古くからあり、たとえば例の「寓意詩画集」にも人間が羊の剪毛をおこなっている絵があって、それに「年に二回の剪毛」という題をもつつぎのような詩が添えられている。
「哀れな羊である私は、ああなんという目にあうのだろう。人間どもは冬と夏ごとに私の毛を剪り、私はそれを嘆き、うめき、そして悲しむのだ。」この詩は明らかに搾取に対する民衆の嘆きを歌ったものだということができる。

記事を読む   寓意詩画集のひつじ

唐代伝奇集「柳毅の物語」

ひつじ話

そこには一人の女が、道ばたで羊を飼っている。毅がふしぎに思ってよく見ると、ことのほか美しい。 (略) 
「あなたが羊を飼っておられるのは、いったいなんにするためですか。神さまが殺して召しあがるのでしょうか」
 とたずねると、女は答えた。
「羊ではありませぬ。雨を降らせる神ですわ」
「雨を降らせる神とはどんなものですか」
「雷獣の仲間です」
 毅がふりかえって見ると、みな目を光らせ、力強い足どりをしていて、水を飲み草を食べるようすも羊とはずいぶん違っている。だが大きさや毛なみ、角などは、羊と変りがなかった。

中国唐代の小説を集めた「唐代伝奇集」の中の一編、李朝威の「柳毅の物語(柳毅伝)」から。この羊似の怪「雨工」については、前に「妖魅変成夜話」で少しご紹介しています。

記事を読む   唐代伝奇集「柳毅の物語」

羊のことわざたち

ひつじ話

満腹した者には羊の尻尾も堅く感じられる (トゥーバ)
誰でも腹一杯食べた後にさらにまだ食べようとすると、どんなご馳走でも苦痛になり、まずくなってくることをたとえていう。(略) ちなみに、「羊の尻尾」は脂肪が多くて柔らかく、地域によってはわざわざ尻尾の大きなクルデュック種が飼われ、しばしば旨いものの代名詞となっている。
羊にとって尻尾の脂は重荷じゃない (アルメニア、アゼルバイジャン)
他人から見れば大きなハンディに映ることでも、もともと自分に備わったものや自ら背負ったことならさして苦にならないことをたとえていう。
二匹の羊の毛を同時に刈ろうとするな、一匹には噛みつかれる (ツワナ族)
同時に二つの目標を追いかけても、結局、「虻蜂取らず」で、どちらも逃してしまうことをたとえていう。
羊の毛を取りに行って自分の髪を刈られて帰る (スペイン、ポルトガル、伊、英、露)
うまいことして利益を得ようとした者がかえって損をしたり、相手をやっつけようとした者が逆にやっつけられる、捜しに行った者が行方がわからなくなって捜されるような場合をたとえていう。

だいぶ前に、脂肪尾羊のお話をしたことがあるのですが・・・・、ひょっとして、わりと普通の食文化なんでしょうか、羊の尻尾。

記事を読む   羊のことわざたち

ボルヘス「幻獣辞典」のバロメッツ

ひつじ話

タタールの羊、別名をバロメッツ、リコポディウム・バロメッツ、シナ・バロメッツともいう植物は、黄金の毛に覆われた羊の形をしている。それは四、五本の根茎で立っている。サー・トマス・ブラウンは「伝染性謬見」(一六四六)のなかで、それについてこう記している。
おおいに不思議とされているバロメッツ、タタールの羊なるあの奇妙な半草半獣ないし植物は、オオカミが好んで食とし、羊の恰好をしており、折ると血のごとき汁を出し、まわりの草木が食いつくされるまで生きつづける。
ほかの怪獣はさまざまな種類の動物を結合させてできあがる。バロメッツは動物界と植物界の融合なのだ。

ホイヘ・ルイス・ボルヘスの「幻獣辞典」から、バロメッツの項を。どうも植物羊には2タイプがあるようなのですが、ボルヘスの語るバロメッツは、以前ご紹介したこちらの、ふたつめのほうになるでしょうか。ちなみに、ひとつめの「莢から生まれる子羊」は、マンデヴィルの「東方旅行記」のもの。

記事を読む   ボルヘス「幻獣辞典」のバロメッツ

鳥獣人物戯画 乙巻

ひつじ話

「鳥獣人物戯画 乙巻」第23?25紙
甲巻とはがらりと雰囲気が変わる乙巻。 (略) これは動物を描くための絵手本、または寺院で教育を受ける子どもたちのための動物図鑑だったのだろう。乙巻の筆者は甲巻の筆者と同一と分析されており、おそらく密教系の絵仏師だった。密教の仏画で尊像の乗り物として描かれる動物と、乙巻の動物とは、厳しい表情や体形がよく似ている。それでも親子で描かれた動物には愛嬌がある。
「小学館ウイークリーブック 週刊日本の美をめぐる№15 アニメのはじまり 鳥獣戯画」 

鳥獣人物戯画は、甲巻が非常に有名ですが、乙巻も捨てがたいのです。羊(山羊っぽいですが)もいるし。高山寺所蔵ですが、保管は京都国立博物館で行われています。

記事を読む   鳥獣人物戯画 乙巻

長澤廬雪「双羊図」

ひつじ話

廬雪「双羊図」

江戸中期、円山四条派のひとりである長澤廬雪の「双羊図」です。おっとりとした羊が二頭。

記事を読む   長澤廬雪「双羊図」

抱朴子 登渉篇

ひつじ話

およそ仙道を修行し、仙薬を煉ろうとする者、それに戦乱を避け隠棲する者、すべて山に入らぬものはない。しかし山に入る法を知らないと、禍いに遇うことが多い。 (略) 西王母(仙女の名)と自称する者は鹿である。辰の日に雨師(雨の神)と自称する者は龍である。河伯(河の神)と自称する者は魚である。 (略) 未の日に主人と自称する者は羊である。 (略) 子の日に社君と自称する者は鼠である。神人と自称する者は蝙蝠である。丑の日に書生と自称する者は牛である。これらの物の名を知ってさえいれば、悪戯をすることはない。

「抱朴子 内篇」は、4世紀初めの中国で葛洪によって著された仙人マニュアルです。巻十七の「登渉篇」は、修行のために山へ入ろうとする仙人志願者のための心得ですが、どうも山では、日替わりで妖怪が現れるようです。未の日には羊の怪が。・・・どんな悪戯をするんでしょう。
ちなみに、この葛洪の従祖父葛玄は、あの左慈仙人の弟子にあたります。血筋ですね。

記事を読む   抱朴子 登渉篇

羊飼いの天候俚諺

ひつじ話

朝から虹がかかるとやがて雨となり、夕方虹がかかると翌日は晴れる。天候俚諺はあくまで大まかな目安で、100パーセント当たるわけではないが、科学的にもある程度根拠のあるものが多い。この場合、朝虹は西方で雨が降っていて東方が晴れていることが多く、夕虹は西方が晴れていて東方が雨のことが多い。天気は地球の自転の関係で西から東へ変わるのが普通だから、朝虹の後は雨になり、夕虹の後は晴れることが多いことになる。
類例が各地に見られ、美しい虹にふさわしく、ことわざも次のように韻をそろえたものが多い。
「朝の虹は羊飼いの憂い、夕方の虹は羊飼いの喜び」
(英、  A rainbow in the morning, is shepherd’s warning, a rainbow at night, is the shepherd’s delight.)

記事を読む   羊飼いの天候俚諺

ヤコポ・バッサーノ 「ノアの箱船に乗り込む動物たち」

ひつじ話

バッサーノ「ノアの箱船に乗り込む動物たち」  「ノアの箱船に乗り込む動物たち(部分)」
ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱船にはいった。また清い獣と、清くない獣と、鳥と、地に這うすべてのものとの、雄と雌とが、二つずつノアのもとにきて、神がノアに命じられたように箱船にはいった。こうして七日の後、洪水が地に起った。

 創世記第7章 

以前、「楽園」をご紹介したバッサーノの、「ノアの箱船に乗り込む動物たち」です。現在、大阪市立美術館で開かれている「プラド美術館展」で観られます。以前ご紹介したムリーリョの「貝殻の子供たち」とあわせて、ぜひ。
それはそうと、猫と羊の大きさが同じくらいなのが、ものすごく気になるんですがどうしましょう。どっちも可愛いから良いんですけども。

記事を読む   ヤコポ・バッサー ...

「セルボーンの博物誌」

ひつじ話

グレイタム教区の荘園は、「羊を除いては」どの家畜も、適当な季節に、森に追い入れる権利を認められていることを、ロンドン塔からの古い記録によって、私は承知しております。
羊だけが除外されているのは、羊は草をたいへんよくたべる動物ですから、好い牧草をすっかりたべつくして、鹿の蕃殖の妨げになるからだと思われます。

18世紀の中頃、英国ハンプシャー州はセルボーン村の副牧師であったギルバート・ホワイトによる、故郷への愛にあふれた博物学の書です。博物学者トマス・ペナントへの書信を集めた第一部と、同じく博物学者デインズ・バリントンへの第二部にわかれますが、この羊についての一文は、第一部第七信、「密猟と野火」に記されたものです。

記事を読む   「セルボーンの博物誌」

「星  プロヴァンスのある羊飼いの物語り」

ひつじ話

―じゃあ、あなたがた羊飼いは魔法を知っているっていうのはほんとう?
―いいえ、ちっとも。だけどここにいると星に近いんで、平地にいる人よりか星の世界のできごとをよく知っているんですよ。
 お嬢さんは相変わらず上を向いていた。頭を片手で支えて、羊の毛皮にくるまって、可愛い天の牧童のように見えた。

19世紀フランスの作家アルフォンス・ドーデーの短編集「風車小屋だより」から、「星」を。
山の上で羊番をする青年と、食糧を運んできた主家のお嬢さんの、静かな会話です。

記事を読む   「星  プロヴァ ...

PAGE TOP