「ぼくの羊をさがして」

ひつじ話

ところが、羊が見えてきた。あっちにも、こっちにも、羊、羊、羊! トラックが止まった。まわりに、羊が押しよせてきた。でっかい、むくむくの毛布みたいだったよ!それが、メエー、メエーって鳴くんだ。そのくさいこと! うん、それが、羊のにおいだったよ。
ボブさんが運転台からおりて、羊を押しのけながらトラックの後ろにまわってきて、荷台の柵を下げた。大人の犬たちが、ひょい、ひょいと飛びおりた。と思うと、もう羊を誘導しはじめた。こんなのは、らくな仕事さ、というふうに。
ぼくは、思わずしりごみした。おなかのどこかが、ふにゃふにゃになったみたいな気がした。だって、羊ったら、みんなぼくより大きいんだ。おまけに、もう、いーっぱいいた。広い世界には、こんなにたくさんいるのか。どうやって数えるんだろう? そう思ったよ!

ヴァレリー・ハブズの児童文学です。
牧場に生まれ、牧羊犬を天職と信じるボーダーコリーの子犬が、わけあって陥った長い放浪の日々。そこから彼を救ったものは、天職を知る者の誇りであり、友情であり……。少年の成長譚として読んでも素敵な物語です。犬ですが。

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「ドクター・ヘリオットの動物物語」

ひつじ話

「おれがこいつにしてやれることはあまりなさそうだ」とロブは唸るように言った。
「獣医さんにできることはなにかあるかね?」
「そうだね、注射ぐらいはしてやれるが、この羊に必要なのは面倒をみてやる子羊なのさ。あんたも知ってのとおり、こういう状況の雌羊は自分を忙しくさせるものがないと、いつもあきらめてしまう。この雌羊に与えられる余った子羊はいないかね?」
「今はいないな。でもこいつには今すぐ必要なんだよな。明日じゃ遅すぎるんだ」
ちょうどその時、見慣れた生きものがぶらぶらと視界に入ってきた。
栄養を求めて羊から羊へとさまよい歩いているその姿が、歓迎されない子羊のハーバートであることはすぐにわかった。

ジェイムズ・ヘリオットの「ドクター・ヘリオットの動物物語」から、「みなしご羊ハーバート」を。
あばらの浮いたみなしご子羊ハーバートと、死産のために弱り切った雌羊が母子の縁を結ぶまでを描く、心あたたまるお話です。

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ブーシェ 「眠りを妨げられて」

ひつじ話

「眠りを妨げられて」 「眠りを妨げられて」(部分)

フランソワ・ブーシェを。磁器人形のような少女羊飼いが愛らしい、「眠りを妨げられて」です。
これまでにご紹介したブーシェは、こちらで。

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中世の風景

ひつじ話

阿部
 それは人によってちがうということはありませんか。つまり、定住者からみれば絶対的空間として入会であるということがあるとしても、別の階層の人にとってみると、すべてが野であるというふうに……。
(略)
石井
 それは天皇から特権を得たということが出てくるわけです。特許状を持っているんだということで、文書をふりかざしてくる。
阿部
 ヨーロッパでは、それに当たるのはジプシーのほかは羊飼しかいまのところ見つからないですね。彼らには第一次大戦後まで、国境なんてものがなかったわけです。ドイツからパリまで羊を追って売りに行ってしまう。(略)
樺山
 まったくの中世とはいえないんですけど、たとえば一番はっきり出るのはスペイン王国の場合です。半島の北と南、何百キロを、一年サイクルか三年サイクルというのもありますけど、周回路があるわけですね。もちろん道路を通るとは限らないわけで、畑の中を突っ切って行くとか、羊が踏み荒らして困るということが、かなり早くから出てくる。イベリア半島をぐるっと一周する羊の道というのは、みんな国王の特許なんです。ただここには、期待するほど国王の呪術的な性格があるとはいえないんです。

先日の「ドゥムジ神とエンキムドゥ神」以来、牧畜民と農耕民の対立について考えていたんですが、中世史家四人による討議録「中世の風景」にあった話題が参考になりそうでしたので。無主の地としての山野河海について東西を比較するにあたって、スペインのメスタが例示されています。
とはいえ、移動民ゆえに頼られる場面も無いではないようですよ。

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プッサン 「聖家族、四人」

ひつじ話

「聖家族、四人」

「ディアナとエンデュミオン」に続いて、ニコラ・プッサンをもう一枚。「聖家族、四人」です。
これまでにご紹介している聖家族を描いたものは、こちらで。

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カスティリオーネ「メランコリー(「ユリシーズの部下たちを野獣に変えるキルケー」)」(続き)

ひつじ話

ユリシーズの部下たちを野獣に変えるキルケー
この主題はホメロスの《オデュッセイア》第10巻に基づいたものである。
美しい魔女キルケーは料理と酒でユリシーズの部下たちを誘い、やがて魔法の杖をふるって、彼らを獣に変えてしまう。
古代の廃墟のような中に座ったキルケーの顔には、満足そうな表情が浮かび、体からは不気味な光が放散している。
彼女の足元の本には、占星学の記号がびっしり書かれている。
他に打ち捨てられた鎧一式、そしてフクロウ、孔雀、雄鹿、羊、犬などに変えられた部下たちの姿がある。

以前ご紹介したベネデット・カスティリオーネ「メランコリー」の解説を見かけましたので、あらためて。
頬杖をついたポーズ以外は、メランコリーでもなんでもないのですね、じつは。
「オデュッセイア」の当該場面を、下に。

キルケは一同を中へ招じ入れると、ソファーと椅子をすすめ、彼らのために、チーズと小麦粉と黄色の蜂蜜とを、プラムノスの葡萄酒で混ぜ合わす。
その上さらに、故国のことをすっかり忘れさせるために、恐ろしい薬をその飲物に混ぜた。
一同がすすめられるままに飲み乾すや、キルケは直ぐに彼らを杖で叩きながら、豚小屋へ押しこめてしまった。
今や彼らは頭も声も毛も、またその姿も豚に変わったのだが、心だけは以前と変わらぬままであった。

キルケのかかわるオデュッセイアの場面として、他に第十一歌をご紹介しています。

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李賀 「神絃曲」

ひつじ話

神絃の曲
西山(せいざん)に日は没して東山(とうざん)昏く
旋風は馬を吹いて馬は雲を踏む
画絃素管(がげんそかん) 声浅繁(せんはん)たり
花袴(かくん)は萃蔡(すいさい)として秋塵(しゅうじん)に歩(ほ)す
桂葉(けいよう)は風に刷(はら)われて桂は子(み)を墜(おと)し
青狸(せいり)は血に哭して寒狐死す
古壁の彩蛟(さいきゅう) 金は尾に帖(ちょう)す
雨工は騎(の)りて入(い)る 秋潭(しゅうたん)の水
百年の老梟(ろうきょう)は木魅(ぼくみ)と成り
笑声と碧火(へきか)と巣中(そうちゅう)に起(おこ)る
 神楽の歌
 西の山に日は落ちて東の山はほの暗く
 旋風の吹き起こり神の馬は雲を踏み分けて降り来る
 美しき絃と清らなる管の浅く繁く鳴り響き
 巫女たちはしゃなしゃなと花の裳を翻して塵の中より現れ出づ
 
 木犀の葉を吹く風に払われてはらはらと黄金の実の落つるとき
 青き狸は血を吐きて泣き叫び痩せたる狐は息を引きとる
 古壁に絵具もて描ける蛟(みずち)のぴくぴくと金色の尾を動かせば
 雨の神はその背に騎りて秋の淵の水底深くそを逐いやりぬ
 百年の劫を経し梟は木の精と化けいたりしが
 笑い声と碧き火と巣の中に湧き起こる

「唐代伝奇集」陳舜臣「ものがたり唐代伝奇」などでご紹介し、「龍の文明史」でも触れた、「柳毅伝」に出てくる龍女の飼う羊似の怪雨工ですが、唐代の詩人李賀の「神絃曲」に、龍と一緒に出てくるようです。
動こうとする描かれたみずちが雨工に逐われているらしいのですが、ということは龍より強いんでしょうか。
ところで、話は変わりますが、もりもとさんから明日夜の「日曜ビッグバラエティ」の情報をいただきました。

2011年2月13日夜7時54分から放送
極寒!北の大地に生きる、羊飼い6人家族の365日
北の大地・北海道。人里離れた山中で羊牧場を営む6人の大家族、その1年間のドラマに完全密着!モンゴル帰りの父さんが営む牧場は全て手作り。大自然に向き合う家族とは?

ああ、これは録画しないと。

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ハンガリー民話 「グリフィン」

ひつじ話

「さあ王子、家へお連れしよう。わたしの背に乗るがよい。でも家に着くまで、あの小さな本を開けてはいけない。よいかな?」
「わかった」と王子が言った。
二人は早速出発した。
王子の国の近くまで来た時、その本はなんなのだろうという好奇心に打ち克てず、グリフィンが気づかないように、そっとポケットから出して開けた。
なんと不思議なことに、本が開くや、中から金色の毛の駿馬、羊、子羊が数百頭も出てきた。
数えられないほど、その小さな本から飛び出した。
それも一頭はこちらへ、もう一頭はあちらへと、ばらばらに飛んで行った。

ハンガリー民話集から。
翼をいためたグリフィンを助けた王子は、小さな本を与えられます。好奇心に負けて帰るまでに開いてしまった、その本に詰まっていたものは。

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ボス「東方三博士の礼拝」右パネル

ひつじ話

「東方三博士の礼拝」右翼

以前ご紹介したヒエロニムス・ボスの祭壇画「東方三博士の礼拝」から、右側のパネルにいる羊を。手前の人物二人は、寄進者とその守護聖人である聖アグネスですが、羊はこの聖アグネスのアトリビュートです。そのわりには、彼女たちに距離を置いて背景に溶け込んでますが。

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ジョルジュ・サンド『フランス田園伝説集』より「火の玉婆」

ひつじ話

リュードルは犬たちがおとなしくなって言うことを聞いたのを見ると、さあこれでよしと眠ろうとした。
ところが、彼らはまた立ちあがって、今度は野獣のように羊の群れにとびかかっていったのだ。
そこには約二百頭の羊がいたのだが、それがみんな狂ったようにおびえて、悪魔そのもののように柵囲いを跳びこえると、鹿にでもなったような勢いで野原に走り去ってゆく。
犬は犬で、狼のように狂暴に彼らを追いかけながら、脚に噛みついたり、毛を引きむしったりしたので、あたりの茂みがとびちった毛でまっ白になるくらいだった。
(略)
ようやく朝の光がさしそめてきた。
そのときになって見ると、彼が追いかけていたつもりの羊は細長くて白い小さな女たちだった。
(略)
そこで彼は、まちがいなしにサバトの宴に引っぱりこまれてしまったものと判断して、へとへとに疲れてしょげ返りながら柵囲いに戻ってみた。
すると驚いたことにそこには羊たちが犬たちに守られてすやすやと眠っているではないか。
犬たちも彼のところへ駆けよって身体をすりよせるのだ。
彼は寝床にとびこんで、ぐっすりと眠りこんだ。
そして翌朝、日の光のもとで羊を数えてみると、何度数えても一頭足りない。

19世紀フランス、ジョルジュ・サンドによる、民間伝承の集成から。
鬼火の妖怪との契約を反故にしようとした羊飼いが、怒った鬼火の婆に手ひどい仕返しを受けます。弱り切った羊飼いは、物知りの老羊飼いに相談し……?

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トムズボックスのピンバッジ

ひつじグッズ

「かわいいピンバッジに出会ってしまいました」と、ぷっか様からお知らせいただいて、思わず注文してしまったものが届きました。ああ、ほんとにかわいい。愛想の無さそうなところがこう。
ラムバッジ
吉祥寺の絵本専門店「トムズボックス」の、絵本作家さんデザインのオリジナルピンバッジです。こちらは、「酒井駒子のラム」と、羊じゃないんですが、きらきら可愛いのに負けて一緒に買ってしまった「どいかやのうさぎのルーピースー」。とりあえず、愛用のマフラーの上に。大きさ比較用にペンも置いてみました。
アップで。
アップでもう一枚。
トムズボックスの公式HPを下に。

トムズボックスは、吉祥寺の片隅にある、とても小さな絵本屋さんです。
でもとっても作家にこだわっている店なのです。

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『トリノ時祷書』より「聖処女たちの仔羊礼拝」

ひつじ話

「聖処女たちの仔羊礼拝」
新しいネーデルラント風景画最初の作例は、不運に見舞われたことでも有名な『トリノ時祷書』である。(略)
この時祷書ももとはベリー公ジャンのために十四世紀末にあるフランスのアトリエで『いとも美しき聖母の時祷書』として彩飾が開始され、公の死後、持ち主が代わり、エノー、ホラント、ゼーラントを統治していたバイエルン=シュトラウビング家の一員の所有するところとなった。
この時、未完の部分にネーデルラントで絵画装飾が施された。我々が今ここで取り上げるのは、この部分である。
『トリノ時祷書』は合計三つの部分に分かれてそれぞれ異なった場所(トリノとミラノとパリ)で保管され、二十世紀の初頭まで生き延びたが、トリノ国立・大学図書館に所蔵されていた巻は1904年に火災で焼失してしまった。
(略)
これまでの研究でしばしば指摘されたように、『トリノ時祷書』のミニアチュール(例えば、焼失した「聖処女たちに囲まれるマリア」の頁のヴィネット「聖処女たちの仔羊礼拝」)と、ファン・アイク兄弟の《ゲントの祭壇画》(1432年にヤンによって完成された。)との間には疑いなく、一定の関係が認められるので、問題はこの関係をどのように解釈するか、である。
アイク芸術の前触れと見なすべきか、それとも、アイク芸術の個性的な模倣作なのか。
また、アイク芸術早期の局面と見る場合にも依然として、兄のフーベルトか、それとも、弟のヤンか、の問題が残る。

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」とほぼ同時代に制作されたと思われる、時祷書のミニアチュールです。
ヤン・ファン・アイクの手が入っていると推定されており、ここでは《ゲント祭壇画》が挙げられています。

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『詩経』より「無羊」

ひつじ話

爾(なんぢ)の牧 来る
薪(しん)をとり 蒸(じょう)をとる
雌(し)をとり 雄(ゆう)をとる
爾の羊 来る
矜矜(きゃうきゃう) 兢兢(きゃうきゃう)たり
騫(か)けず 崩(くづ)れず
之を麾(まね)くに肱(ひぢ)を以てす
畢(ことごと)く来りて既に升(のぼ)れり
 そこに牧夫が来て
 薪(まき)をとり 粗朶(そだ)をとり
 雌鳥 雄鳥を供える
 羊が群れて来るときは
 よりそうように並びます
 乱れもせず 崩れもせず
 肱あげて合図をすると
 みんなぞろぞろ升ります

「羔羊」をご紹介している「詩経」のうち、小雅より「無羊」の一節を。
牧場開きを祝う祝頌詩とのこと。

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