江戸期の毛織物事情。

イギリスが日本まで来て売ろうとしたのは布類だった。
アダムスはイギリスが日本へ進出する前に、すでに日本での貿易を薦める内容の書簡をイギリス側に送っている。
彼はその手紙で「そこ(日本)では布類は魅力ある商品とされている」と記す。
(略)
しかし、布類の輸出は日本では思ったほど順調には進まなかったが、それには理由があった。
まずは、流行(ファッション)の問題である。
流行という概念そのものがヨーロッパではまだまだ一般的ではなかったし、昨年は売れたものが今年は売れないという現象にイギリス人は思いきり面喰らったのである。
そのうえ、日本人特有の色彩の好みがあった。
コックスによれば、日本人が着るのは黒、赤、それに「悲しげな青類(sad blues)であり、初期に輸入した鮮やかな色彩は人気がないとしている。
(略)
素晴らしい陣羽織の多くはこうして輸入された羊毛で織られたもので、おそらくはイギリス製の羊毛も原料として使われたはずである。
結局、1620年、7年間もの努力の後、コックスはロンドンの東インド会社に手紙を書き「我々のイギリス製毛織物に関しては、日本で大量に販売することができるとは思えない」と言っているのだから可哀相な話である。
(略)
日常的な品質のものも、ペルペチュアナ(耐久性)という安価なイギリス製の毛織物が江戸時代を通じてオランダ人によって日本に輸入されつづけていた。
1800年になると、将軍家斉がオランダカピタンのワルデナルに、日本でも毛織物の生産を開始できるようにと、羊を輸入するように要請している。
もちろん、ワルデナルはこれを拒むが……。

時々お話している江戸期の羊毛製品について、さらにもう少し。
タイモン・スクリーチの「江戸の英吉利熱」から、当時の日本と羊毛製品帝国としてのイギリスの関係について語られた部分を引いてみました。
決して需要がなかったわけではないと思うんですが、なにかとかみあわなかったみたいです。

ひつじ話

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