「桃源遺事」

西山公、むかしより、禽獣草木の類までも、日本になき物をば、唐土より御取よせなされ、又日本の中にても、其國にありて、此國になきものをば、其國より此國へ御うつし被成候、其思し召すゑに記す、
草之類
朝鮮人參 江戸駒込の御屋敷、并水戸にても御植候   薩摩人參   闌
(略)
獣の類
麞(ノロ) 北領の山に御はなち候   豪豬(ヤマアラシ) 山林に御はなち候
羊 年々子を生、餘多になり候、   綿羊 右同斷
(以下略)

 「桃源遺事」 

西山公こと第二代水戸藩主徳川光圀の言行録である、「桃源遺事」から。
先日の「日本幽囚記」にあるように、江戸期、外来の羅紗(ウール)がそれなりに流通しつつも、日本人の羊に対する知識はとぼしいものでした。なんとか産業として成立させようとした平賀源内の例についてはお話をしておりますが、さらに時代をさかのぼって、水戸光圀公も挑戦していたようです。しかも増やしてるし。ただ、羅紗を織ったりはしていないようですね。食用かな?
それはそうと、「羊」と「綿羊」が別なのが気になります。「環海異聞」もそうでしたが、なんなんでしょう、これ。

ひつじ話

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