略奪美術品としてのヘント祭壇画

その頃、ゲントの祭壇画やバウツの「最後の晩餐」を含む約2万点の絵画が消失しようとしていた。
戦争開始時にルーヴル美術館やその他の美術館の学芸員によって先導された美術品隠しのいたちごっこの大ゲームに影響されて、ドイツ軍は美術品保護の秘密の貯蔵庫を作った。
ゲントの祭壇画は、これらの中で最も大きかったザルツブルクの南東約75マイルにあるアルト・アウスゼーという小さなオーストリアの町の北方にある岩塩坑に隠されていた。
山中に1マイル以上入ったところにあるアルト・アウスゼーは、1年を通じて気温と湿度が低いために選ばれた。
(略)
1945年の春、連合軍がオーストリアに進攻したとき、地方のドイツ軍はアルト・アウスゼーの坑道に「大理石─落とすな」と書かれた梱包用の8つの箱を人知れず持ち込んだ。
その中には、実際には連合国の手に美術品が落ちることを防ぐために爆発させる予定だった爆弾が入っていた。

何度かお話をしているヘント(またはゲント)の祭壇画に関して。
いくども略奪や盗難の対象となったこの祭壇画の最後の災難は、ナチスドイツの略奪を受け、その敗北にともなっておそらくは処分されかけたことでした。よく無事でと思って見れば、感慨もひとしおです。

ひつじ話

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