『トリノ時祷書』より「聖処女たちの仔羊礼拝」

「聖処女たちの仔羊礼拝」
新しいネーデルラント風景画最初の作例は、不運に見舞われたことでも有名な『トリノ時祷書』である。(略)
この時祷書ももとはベリー公ジャンのために十四世紀末にあるフランスのアトリエで『いとも美しき聖母の時祷書』として彩飾が開始され、公の死後、持ち主が代わり、エノー、ホラント、ゼーラントを統治していたバイエルン=シュトラウビング家の一員の所有するところとなった。
この時、未完の部分にネーデルラントで絵画装飾が施された。我々が今ここで取り上げるのは、この部分である。
『トリノ時祷書』は合計三つの部分に分かれてそれぞれ異なった場所(トリノとミラノとパリ)で保管され、二十世紀の初頭まで生き延びたが、トリノ国立・大学図書館に所蔵されていた巻は1904年に火災で焼失してしまった。
(略)
これまでの研究でしばしば指摘されたように、『トリノ時祷書』のミニアチュール(例えば、焼失した「聖処女たちに囲まれるマリア」の頁のヴィネット「聖処女たちの仔羊礼拝」)と、ファン・アイク兄弟の《ゲントの祭壇画》(1432年にヤンによって完成された。)との間には疑いなく、一定の関係が認められるので、問題はこの関係をどのように解釈するか、である。
アイク芸術の前触れと見なすべきか、それとも、アイク芸術の個性的な模倣作なのか。
また、アイク芸術早期の局面と見る場合にも依然として、兄のフーベルトか、それとも、弟のヤンか、の問題が残る。

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」とほぼ同時代に制作されたと思われる、時祷書のミニアチュールです。
ヤン・ファン・アイクの手が入っていると推定されており、ここでは《ゲント祭壇画》が挙げられています。

ひつじ話

Posted by


PAGE TOP