中勘助 「鳥の物語」

「だが善い爺さんにゃちがいない。まだ一度も私らに弓をひいたことがない」
そんな噂をしながら見てるうちに羊の群の先に立ってとぼとぼと足を運んでた老人は急によろよろしたかと思うとばたりとうつ伏せに倒れてしまった。雁たちは思わず クワーッ と声をあげた。いつまでたっても起き上がらない。
「どうしたんだろう」
「いってみてやろうか」
「よしなさいよ。不意に立って射つけるなぞはよくある手だ」
と年寄の雁がいった。で、彼らは暫く躊躇してたがどうもおかしいので、なかで気の強いすばしっこいものだけがぱっと舞いあがっていって老人のうえに用心深く輪をかきながら様子を見た。本当らしい。そこでだんだん低く飛んでいよいよ息も絶えてることを確めてから老人のそば近く降り立った。羊の群はきょときょととしてそのへんをさまよっている。親切な雁たちは今は我身の危険も忘れてんでに老人の耳もとに嘴をさしつけて一所懸命呼び生けようとした。

中勘助の大人のための童話集『鳥の物語』から、第一話の「雁の話」を。
蘇武牧羊に材をとったお話が、天子のもとに蘇武の手紙を届けた雁の視点で語られます。
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ひつじ話

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