ドストエフスキー 「死の家の記録」

わたしは、しかし、煉瓦運びを愛したのは、この作業で体力がつくからだけではなかった。
さらに、この作業がイルトゥイシ河畔で行われたからである。
わたしがしばしばこの河畔のことを言うのは、他に理由はない、ただそこからは神の世界が見えたからである。
(略)
わたしにとって、そこにあるすべてのものが貴く、そしていとおしかった。
果てしない紺碧の大空に輝く明るい熱い太陽も、遠い対岸キルギスから流れてくるキルギスの歌声も。
長いことじっと目をこらしていると、そのうちに、遊牧民の粗末な、煤煙で黒ずんだ天幕らしいものが見えてくる。
天幕から小さな一すじの煙がのぼり、キルギス女が一人忙しそうに二頭の羊の世話をしている。
それらはすべて貧しく、粗野ではあるが、しかし自由である。

フョードル・ドストエフスキーによる、シベリアへの流刑体験に基づく「死の家の記録」から。

ひつじ話

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