エトルリアの肝臓占い(続き)

「ピアツェンツアの肝臓」の名で知られるこのブロンズ製の羊の肝臓は、表面が四十の区画に分かれていて、それぞれが天界の区分に相応し、その主である神の名前が記されている。
卜占師にとって右側が吉兆の部分、左側が凶兆の部分となっていて、突起部から落ちる日の影によって占ったらしい。
(略)
肝臓は左右の葉に分かれ、さらに葉間切痕と呼ばれる裂け目によって多くの肝葉に分かれる。
とくにその一つである尾状葉を「頭」と見て、卜占が行われたのであった。
ローマの卜占官にもなった政治家キケロは、あらゆる角度から丹念に熟慮し、この「頭」が見つからないときは、これ以上悲惨なことが起こることはない、と判断したと伝える。

ローマと長いこと敵対していた民族に対して意外な措置に見えるかもしれないが、征服後ただちに元老院は天変地異に関してローマ国家の必要に応えうる、エトルリアの臓卜師団を組織した。
(略)
キケロ(『占いについて』第一巻九二)とウァレリウス・マクシムス(第一巻一章)は、ローマがトスカーナ全都市の名門一族に対し、青年を臓卜師として養成するよう求めたことを明記している。
(略)
臓卜師の成功は公式宗教の分野だけにとどまらなかった。
私営の臓卜師が続々と登場し、見料をとって大衆に助言を与えた。
後四世紀末のカルタゴで、のちの聖アウグスティヌスは当時まだ学生だったときに臓卜師に助言を求めた(『告白』第四巻二章)。

ピアツェンツァの肝臓肝臓をもつ人物像をご紹介しているエトルリアの肝臓占いについて、概説書からいろいろと。

ひつじ話

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