黒死病とタペストリー

中世の医師たちは、疫病が沼沢地から立ち上る瘴気と同じように空気伝染すると信じ込んでいたので、生活のスタイルを変えるよう助言した。
窓を閉め切って覆いを掛けなければならなかったので、裕福な人たちは分厚いタペストリーを買い求めた。
黒死病は、フランドルやフランス北部のタペストリー製造業者にとって需要の拡大という著しい商業的な効果をもたらした。
(略)
西洋においてタペストリーの製作に従事していたのは、すでに中世の美術品の主要な製作者としてその地位を確立していた修道士だった。
だが、裕福な人々が求めるようになった、悪疫の侵入を食い止めるといった特定の用途をもったきわめて大きなタペストリーを製作しようとすれば、数多くの腕の立つ職人を組織的に働かせなければならなかった。
裕福な人々が求めていたのは、中世の人々に広く知られていたロマンスからお好みの情景を選びだし、それを精巧なつづれ織りによって図案化したものであって、分厚いだけで変わり映えのしないタペストリーでは、こうした人たちの嗜好を満たすことができなかったからである。

タペストリー(タピストリー、タピスリー)は、15世紀トゥールネの「羊の毛刈」16世紀フィレンツェの「ヴィーナス=フローラとしての春」18世紀フランスの「手相占い」などをご紹介していますが、意外な一面をその用途に持っていたようです。
黒死病と文化の関係では、他に、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂サン・ジョヴァンニ洗礼堂に絡んでお話をしたことがあります。

ひつじ話

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