中世ヨーロッパの宇宙観と差別

私たちは一つの宇宙、一つの地球で暮らしていますが、中世の人は一般的にいえば自分の村、自分の町が世界でした。
(略)
中世人が生きていた空間は一つではなくて、二つだったということです。(略)
すべての幸福も不幸も外から来る。病気も天災も外から来る。
その発想の根源には、現世をコントロールできないという発想があったわけで、政治も、自然現象もコントロールできない。
(略)
なぜ差別されたのか。この問題は、私の考えでは、キリスト教と関係があります。(略)
キリスト教の教義のうえでは世界の成立からキリストの生誕、死と復活をへて、最後の審判へ向かう歴史がはっきり示されていますから、ダイモーンというものを認めないのです。
(略)
問題は、一つの宇宙という考え方を強制したことにあります。この影響が大きいのです。
一つの宇宙を強制するということは、恐れることはなにもないということになります。森を恐れる必要はない。
羊飼いはなぜ恐れられたか。彼は一人で野原の中で暮らした。
そういうことは中世では考えられないことなんですね。
彼は何らかの形で大宇宙と折り合いをつけてるに違いない。気味が悪いということがあって、羊飼いに対する恐れが生まれたのです。

フローベールの「紋切型辞典」アルフレッド・サンスィエ「ミレーの生涯」などでお話したヨーロッパの羊飼いイメージについて、もう少し。
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」より、外界とかかわる能力を持つために畏怖された職業が、キリスト教の教義のもとに賤視の対象となっていく過程を。

ひつじ話

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