肉袒牽羊(続き)

微子啓というのは、殷の帝乙(殷の第二十九代の天子)の長男で、紂王にとっては妾腹の兄である。
紂王は位についたが、不明の君主で、はなはだしく政治を乱した。微子がたびたび諫めたが、紂は聞き入れなかった。
(略)
周の武王が紂を討伐して殷に打ち勝った後、微子は先祖の祭祀の道具を持ち、武王の軍門までやって来て、肌脱ぎとなり、両手を後へまわして縛り、左側に羊を引っぱり、右側に茅を抱えて、膝ついて進み、武王に申告した。
そこで武王は微子を解き放し、もとの位につかせた。

春秋左氏伝の引用でご紹介した故事成語「肉袒牽羊」ですが、史記の宋微子世家のなかに、殷周期の微子のエピソードとして同じものがありましたので、こちらもあらためて。

ひつじ話

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