サン・ジョヴァンニ洗礼堂の舞台裏

新しい世紀が明けそめた1401年、第二門扉制作のためのコンクールが宣言される。
主題は「イサクの犠牲」。課題作の制作期限は一年。材料費と生活費は組合もち。
(略)
1401年のコンクールの時代背景は暗いものだった。
1348年の大黒死病のあと、大きな疫病だけでも1361年、74年、83年、90年と頻発し、1400年にはフィレンツェで一万二千人という凄まじい数の犠牲者を出したばかりだった。
(略)
黒死病に効き目のある絵画の主題に「聖セバスティアヌス」がある。(略)黒死病はちょうど矢の跡のような黒い斑点が身体中に広がって三日とたたずに死にいたる病である。この相似性から、矢を射られても不死身の聖人が疫病から身を守る聖人として崇拝されるようになる。14世紀から急速にこの絵画主題が普及するのは、疫病との関係による。
「イサクの犠牲」も同じ効果が期待される主題である。(略)篤い信仰心のゆえに子供が九死に一生を得る話である。黒死病の犠牲者は子供が多かったのだ。
(略)
ギベルティの《イサクの犠牲》は、当時流行していた繊細な国際ゴシック様式の典型で、品良くまとまっている。
一方、ブルネッレスキの《イサクの犠牲》は、劇的リアリズムが革新的すぎて、当時の保守的な上層市民層の趣味には合致しない。
しかもブルネッレスキ作品が25.5キロと重いのに対して、ギベルティ作品は18.5キロと7キロも軽い。制作費が安くあがる。
最小限の出費と最大限の視覚的効果の兼ね合いは、フィレンツェ商人にとっては、明らかな魅力と映ったに違いない。勝敗は決した。

以前お話したブルネレスキとギベルティの「イサクの犠牲」に絡んだエピソードを。イサクの犠牲が黒死病に対抗するための主題であることや、制作費の問題が決定打になっていることなど、じつにリアルで刺激的です。

ひつじ話

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