読書亡羊

臧(ぞう)と穀と、二人相與(あいとも)に羊を牧して、倶(とも)に其の羊を亡へり。
臧になにを事とせしかを問へば、則ち策を挟みて書を讀み、
穀になにを事とせしかを問へば、則ち博塞して以て遊べり。
二人は、事業は同じからざるも、其の羊を亡ふに於ては、均しきなり
伯夷は名に首陽の下に死し、盗跖は利に東陵の上に死す。
二人は、死する所同じからざるも、其の生を殘(そこな)ひ性を傷つくるに於ては、均しきなり。
なんぞ必ず伯夷を之れ是として、盗跖を之れ非とせんや。
●通釈
番人の臧と穀との二人が、それぞれ羊の群れの見張りをしていたが、どっちも羊に逃げられてしまった。
臧に何をしていて逃げられたのかと問いただすと、巻物をこわきにはさんで一心に書物を読んでいたということであり、
穀に問いただすと、夢中になってかけ事をして遊んでいたということであった。
二人はやっていたことは違うけれども、役目を怠って羊を逃がしたことは同じである
これと同じことで、伯夷は道義の名誉を守って、首陽山のふもとに隠れて餓死し、
盗跖は財物の利をむさぼって、東陵山上に追いつめられて死んだ。
この二人は、死にかたは違っているが、その生命を滅ぼし天性を損なったことは、どちらも同じである。
だから、なんで世上にいうように伯夷は正しくて、盗跖は悪いなどときめつけられようか。

 「全釈漢文大系16 荘子 上」 

他に気をとられて肝心なものを失ってしまう、という意味の故事成語「読書亡羊」です。出典は「荘子」。
それが利であれ仁義であれ、人間の天性ではない外部のものを優先する価値観こそが人を苦しめるのだ、という趣旨なのですが、その「天性」に羊がたとえられています。

ひつじ話

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