明恵 「夢の記」

 日本における華厳宗中興の祖として有名な高弁(明恵)は、十八歳(1191年)のときから死の二年前、1230年にいたるまで、40年間にわたってみずからの夢を記録しつづけた稀有の人物である。その『夢の記』承久二年(1220)九月二日の項にいう。
 「大きな空に羊の如きものあり。変現きわまりなきなり。或るは光る物の如く、或るは人体の如し。冠を著け貴人の如く、たちまち変じて下賤の人となり、下りて地にあり。その処に義林房あり。これを見てこれを厭い悪む。予の方に向いまさに物言わむとす。予、心に思わく。これは星宿の変現せるなり。予、これを渇仰す(以下略)。」
 (略)
 生息しないヒツジを高弁は視覚化することができただろうか。
 (略)
 全般に古代・中世の日本において、ヒツジ・ヤギの両者とも羊と書かれヒツジとよばれていたようである。『和名類聚抄』(源順、930年ごろ)、『類聚名義抄』(十二世紀)のいずれを見ても、羊はヒツジと訓まれ、ヤギの項はない。『日本書紀』皇極紀、および『本草和名』(深根輔仁、920年ごろ)に山羊が登場するが、その訓はカマシシであり、カモシカを指す。
 ヒツジのみならずヤギもまた、日本においては原産せず、飼育もされなかった。したがって高弁がヤギを直接観察した可能性もきわめて少ない。ところが彼が手にとって見る機会があったと思われる絵画にヤギらしい動物が描かれている。
 『鳥獣人物戯画』乙巻(十二世紀なかば)には(略)、よく知られているとおり高山寺の朱印が捺してある。そして高山寺を創建したのは、ほかならぬ高弁であった。

中村禎里「日本動物民俗誌」の「カモシカ」の章にある、明恵上人が夢に見た「羊の如きもの」についての考察です。上人が見た「羊」のかたちは、おそらく「鳥獣人物戯画」のほぼヤギの姿をした「羊」であろう。さらに、「戯画」のこの動物は、シカやカモシカを参考にして描かれたものだろうというお話なのですが、たしかに、いろいろ混ざってそうです。どちらにせよ、不思議な夢ではありますが。

ひつじ話

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