バビロニアの羊の肝臓の模型

肝臓の模型(前19世紀)
バビロニアにおける知の獲得法、(略)それは範例主義とも呼ぶべきもので、後のギリシア数学のように原理や法則を抽出せず、なぜそのように解くのかも説明しない。 (略)
当時の考えによると、神々は未来を知っており(なぜなら未来は神々が決めるのだから)、わざと注意を引くような現象や出来事を起こして、人間にそれを暗示することがある。 (略) そして項目別に細かく分類され、それぞれに未来の「お告げ」が添えられて、ときには2万行にも及ぶ膨大な「前兆」のカタログをなしたのである。 (略)
一定の相関関係を用いて、同じ現象から同じ未来を導きだす「演繹的」なやり方を見ていると、(略)これらの文書の編纂者たちが何か三段論法の前段階のようなものを発見していたのではないかという気がしてくる。
いわゆる「演繹的」な占いでは、羊を生贄にして肝臓の形状を調べ、その特徴や異常を明らかにするというやり方がよく用いられた(肝臓は諸器官の中でもとくに形が多様である)。肝臓には神託の形で依頼者の運勢が現れていると考えられていたのである。動物の肝臓の模型(マリ王宮で発見)は、占いの仕事を助けるために作られたもので、それぞれにその特徴と予言が書き込まれている。

シュメル文明のお話をしたときに少しふれた羊の肝臓占いですが、同じものが前19世紀のバビロニアにもあるようです。

ひつじ話

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