2015年08月27日

●谷泰「牧夫の誕生」より。

草の支給量に対してもはや肉の取得量が増加しない成長期を過ぎた雄は、確実に徒食者と見なされることになる。
こうして、一歳半から二歳までの雄を殺すためだろう、動物考古学者は、残存消費遺骨のなかで、ある段階から、この年令以上の雄が減少するという一般的事実を確認している。

(略)

しかもこの消費戦略が、その後、西アジアの牧民のもとで、変わらず実施され続けられたことは、歴史的資料からも確認されている。
たとえば紀元前1000年期の新バビロニア時代の委託家畜の記録でも、家畜群の性・年齢構成において、雌に対する雄の頭数はきわめて少ない。
またシュメール時代、周辺地域から貢納としてもたらされた羊・山羊のほとんどが雄である。
そしてこのような雄が、神殿において供犠獣として用いられている。
周辺地域の牧民たちは、群れを殖やすに役立つ雌は資本財として手元に残し、間引くべき雄は流通財として貢納として出した。
そこに見られる性差に応じた財としての差異化も、再分配の中心である神殿での供犠における雄の特化も、まさにこういう初期牧畜の成立以後ずっと維持されてきた家畜経営戦略を前提することなしには成立しえなかったことと言ってよい。

しかも、この一歳を過ぎた段階で幼雄を一斉に間引くというプラクティスが、ヘブライズムでの過ぎこしの祭り、キリスト教での復活祭、またイスラムのラマダンあけの祭りで、当歳の雄を殺して食するという慣習の背景にあることはすでに指摘した。

先日の、乳加工食品の成立についての論考があまりにおもしろかったので、改めて、同著者の「牧夫の誕生」を読んでみました。引用は、羊・山羊の家畜化以後の技法的展開に関する部分。やはり刺激的です。

ひつじnews at 2015年08月27日 19:59 | Category : ひつじ話
関連書籍?
コメント
この記事にコメントを書くことができます  (メールアドレスは公開されません)