オールコック 「大君の都」

ひつじ話

牛肉と羊肉をすこしも食べないでいると、イギリス人の体質はいつか重大な支障をきたすにちがいない。
われわれは海外にきわめて多くの属領を有する小さな島国の国民であるがゆえに、当然はるかなる東洋の土に派遣されて、長いあいだ故郷とのいっさいのつながりを断たれ、流刑にも似た状態におかれるようなこともありうるというふうに考えるように育てられている。
年々何千、何万という人びとを両親のもとから巣立たせる仮借なき必然に、われわれがなんと冷静にしたがっていることか、そして知友や親戚とも離れ、社会的・知的な交際を奪われても、いかに耐え忍んでゆくことか、じつに驚くべきものがある。
ところで、読者は、何ヶ月ないし何年にもわたって牛肉や羊肉を味わえないということがどんなものであるかを、切実に感じたことがあるかどうか。
そういう目にあったことのない人びとには、このような状態のもとではとうてい健全な精神を保持することは不可能だといいたい。

先日のアンベール「続・絵で見る幕末日本」に続いて、幕末の西洋人による日本見聞記をもうひとつ。ラザフォード・オールコックの「大君の都」です。食生活が思うに任せないことについて苦しんでいるようですが、その、そこまで……?

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19世紀フランスのファッション。

ひつじ話

男性が刺繍、レース、羽飾り、短ズボン(キュロット)、派手な色の布地、尾錠、宝石などを財産の多少を問わずあらゆる身分の人間に入手可能なフロックコートに取り替えて節約と平等のために犠牲を払っている間、つまり長い歳月にわたって男性のいろいろな自己犠牲が進行する間、きかぬ気の我が美しき伴侶たちは明けても暮れても衣装を替えては喜んでいる。
ギリシア風からトルコ風、中国風からマリー・スチュワート風にメディチ風、あるいはワトーの絵の羊飼女風からルイ十五世時代の侯爵夫人風などと。

19世紀フランスにおける、ブルジョワジーの衣服の変遷について語る「衣服のアルケオロジー」から。「ワトーの羊飼女風」ファッションが、当時の女性たちのあいだで流行したのでしょうか。

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京都市美術館 「ルーヴル美術館展」

ひつじ話

京都の岡崎公園内にある京都市美術館まで、ルーヴル美術館展を見に行ってまいりました。
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地下鉄東山駅を降りてお土産物屋さんなど冷やかしつつ、てくてくと十分ほど。大きすぎないところが風景になじんで美しい、帝冠様式の建物が見えれば、それが京都市美術館です。
こちらの展覧会では、以前ご紹介したことのあるジャン・オノレ・フラゴナール「嵐」が、「《嵐》、または《ぬかるみにはまった荷車》」として展示されています。

ルーヴル美術館展 日常を描く─風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
会期 2015年6月16日(火)─9月27日(日)
会場 京都市美術館
開館時間 AM9:00─PM5:00(ただし入場はPM4:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は開館)

また、フラゴナールのほか、ジョバンニ・パオロ・パニーニの「神殿から追い出される商人たち」などで、ヒツジが描かれている絵画を見ることができました。
ご縁があれば、京都まで、ぜひ。

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「パリ風俗史」

ひつじ話

昨今は、猫も杓子も、自分の毛を他人の毛で隠している。
宮廷人はむき出しの頭で君前に伺候して風邪を引いたり熱を出したりしないように、禿は脱毛症を隠すために、赤毛は自毛の色を隠すために、白癬病みは持病を隠すために。
かつらにはありとあらゆる種類がある。
丸いのもあれば、四角いの、とがったの、フランス風、マルチーズ風、羊風のもあるし、表裏使用可能なもの、一本巻き毛や二本巻き毛のもあり、なかには1000エキュもするのもある。
ヘアディザイナーのビュレは、半切サイズのかつらを考案した。

アンドレ・ヴァルノの『パリ風俗史』より、「17世紀」の章から。羊風かつら!?

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アンベール 「続・絵で見る幕末日本」

ひつじ話

別の所では、さまざまな動物を檻に入れて売っている。
中でも目につくのは、蝦夷の子熊とか、非常に醜いが、きわめて高価なスパニエル犬とか、芸を仕込んだ猿とか、ごくありきたりの野羊とか、といった動物がいる。
注目すべきは、日本のような国では放牧用の土地が耕作のために取られてしまい、反芻動物はすべて贅沢品となっていることである。
ただし、水牛は除外例で、これは稲田の仕事には欠くべからざるものだからである。

修好通商条約を結ぶために幕末の日本にやってきた、スイス人エメェ・アンベールの見聞記です。引用は、浅草の祭りを描いた一章から。
江戸期の見世物はヒツジが人気だったらしい、というお話はときどきしているのですが、西洋人の目にはそれがこういうふうに映ったのですね。
幕末の日本見聞記としては、ほかに「ゴンチャローフ日本渡航記」をご紹介しています。

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「牧畜の食」としての乳加工食品

ひつじ話

「牧畜の食」として、肉とは別に、乳加工食品がある。そして、それは搾乳を前提としている。
(略)
乳メスは、実子以外のものが乳房を吸おうとも、乳腺が開かない。ましてや、人がやにわに乳房をとらえて、しぼっても、近代の改良牛以前では、乳が出ないのである。
「牧畜の食」の重要な要素をなす乳製品は、家畜化の開始とともに、ただちにもたらされたものではない。
(略)
ところが、紀元前5000年紀を境に、消費動物遺骨のなかで、4─5歳以上の個体数が増加しはじめる。まさに乳利用対象として、メスが生かされはじめたからに違いない。
(略)
実子以外の刺激に、乳メスの乳腺は開かないのなら、まず実子をおとりにすればよい。
つまり、実子を近づけ、乳房をふくませ、乳腺が開いたところで、それを引き離し、やにわに搾乳を始めればよい。
(略)
ただこのような技法が、人間の利用のための家畜からの乳の詐取意図をもった人びとによって、ふと思いつかれたという想定には、いくつかの疑問が残る。
異種の動物の乳は臭く、はじめて飲むものには、おいしいと思われないことを、牛乳を飲む習慣のなかったわれわれは知っている。
おまけにそれまで乳を飲む習慣のなかったものが乳を飲むと、乳糖分解酵素の活性の低さから、下痢をおこす。
(略)
最初に家畜の乳を飲んだ人は、少なくとも他の必要からしぼりおかれた家畜の乳が乳酸発酵して、まさにヨーグルトとなったものをたまたま飲むことで、乳の価値をみいだしたとみるのが妥当のように思われる。
ただ、この想定のもとでは、人間の利用のための搾乳以前に、一見ありそうもない〈人の利用を前提としない搾乳〉があったという、仮定をたてなくてはならなくなる。
(略)
実は日帰り放牧がもたらした授乳・哺乳関係の不安定化を補う技法として始められた授乳・哺乳介助の特殊ケースとして、それが行われている。
このようにみてくると、人間の利用を目的とした搾乳以前、利用を前提としない搾乳が、乳メスから哺乳を受けることができない孤児のための人工哺乳として開始されたという想定は、けっして根拠のないものではない。

『講座 食の文化』シリーズの第一巻、「人類の食文化」のうち、谷泰による「牧畜民の食」がたいへんエキサイティングでしたので、要点部分を。

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蘇東坡 「和子由踏青」

ひつじ話

和子由踏青  子由(しゆう)の踏青(とうせい)に和す
春風陌上驚微塵   春風 陌上(はくじょう) 微塵(びじん)を驚かし
遊人初楽歳華新   遊人 初めて楽しむ 歳華(さいか)の新たなるを
人閑正好路傍飲   人は閑(かん)にして正に好し 路傍の飲(いん)
麦短未怕遊車輪   麦は短かくして未だ怕れず 遊車の輪(りん)
城中居人厭城郭   城中の居人 城郭に厭(あ)き
喧闐暁出空四隣   喧闐(けんてん)暁に出でて 四隣を空しうす
歌鼓驚山草木動   歌鼓(かこ) 山を驚かして草木動き
箪瓢散野烏鳶馴   箪瓢(たんぴょう) 野に散じて 烏鳶(うえん)馴る
何人聚衆称道人   何人か 衆を聚(あつ)めて 道人と称し
遮道売符色怒瞋   道を遮(さえぎ)り 符を売って 色 怒瞋(どしん)する
宜蚕使汝繭如瓶   蚕(さん)に宜しく 汝の繭をして瓶(かめ)の如くならしむ
宜畜使汝羊如麕   畜(ちく)に宜しく 汝の羊をして麕(きん)の如くならしむと
路人未必信此語   路人は未だ必ずしも此の語を信ぜざるも
強為買服禳新春   強いて為に買い服して 新春を禳(はら)う
道人得銭径沽酒   道人は銭を得て 径(ただ)ちに酒を沽(か)い
酔倒自謂吾符神   酔倒して自ら謂う 吾が符は神なりと
春風が町を吹いて塵が舞い上がる。
道行く人は、年の明けたのを楽しむ。
世間は静かで、野遊びには絶好の時。
麦も短く、野を行く車輪はおかまいなし。
町なかの人は町に飽き、朝からがやがやと、野原へ総出だ。
歌や太鼓が山を驚かして、草木も動きだし、酒盛りの馳走は散らばって、鳥が近づく。
誰だろう、人を集め、「わが輩は道人だ」と、道を遮ってお札を売りつけ、どなっている。
「札を買えば、蚕は上乗、まゆはでかいぞ、家畜も上乗、羊は大鹿のように太るぞ」
村人は、その言葉を信じているわけではないが、言うことを聞いて、買って新年のおはらいをする。
道人は銭を受け取ると、すぐ酒を買い、酔いつぶれて「わしのお札は霊験あらたか」とのたまう。

11世紀、北宋の蘇東坡(蘇軾)を。任地先の鳳翔府で詠われたものです。

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柴田是真 「明治宮殿千種之間 天井画下絵」

ひつじ話

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明治21(1888)年に竣工、昭和20(1945)年に戦火で焼失するまで皇居として用いられた「明治宮殿」。
宮殿の千種之間と呼ばれた広間の格天井を彩っていた綴織の下絵と伝えられている。

先日見に行ったヒツジグサがあんまり美しかったので、きっとこの花を描いた美術品があるはずだと探してみたところ、江戸後期から明治にかけて活躍した柴田是真による、「明治宮殿千種之間 天井画下絵」の一枚がヒツジグサでした。
天井画が焼失してしまったことが、心から惜しまれます。

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葛飾北斎 「画本彩色通(えほんさいしきつう)」

ひつじ話

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カピタンノ曰ク ひつしにつのある事なし
ヤギウとみあやまりしなるべし
羊ハしろしといへども 兎 鼠とハたかふ也

葛飾北斎が最晩年に出版した絵手本『画本彩色通』より、「綿羊(ひつじ)」を。角の有無が羊と山羊の見分け方だと西洋人に聞いた、ということでしょうか。どこかで誤解が重なった感じがしますが、さて。
これまでにご紹介している北斎は、こちらで。

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クロード・ロラン 「牧歌的風景」

ひつじ話

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 「イタリアの光 クロード・ロランと理想風景」展カタログ 

17世紀フランス及びイタリア、クロード・ロランの「牧歌的風景」です。
これまでのクロード・ロラン関連記事は、こちらで。

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『詩経』より 「君子于役」

ひつじ話

君子于役(くんしうえき)   [王風]
徭役に長く出ている夫を思う農婦の歌。
君子于役     君子 役(えき)に于(ゆ)く、
不知其期     其の期を知らず、
曷至哉      曷(いつ)か至らんや。
雞棲于塒     鶏 塒(ねぐら)に棲(やど)る、
日之夕矣     日の夕べ、
羊牛下來     羊牛(ようぎゅう) 下り来たる。
君子于役     君子 役に于く、
如之何勿思   之れを如何(いかん)ぞ思ふこと勿(な)からん。
(第一節) あなたは徴用されて出ていった。その期限は知らされず、いつお帰りになれることやら。ニワトリも自分のねぐらに休んだ。日が暮れて、羊や牛も山からもどって来た。あなたは徴用されて出ていった。どうしてあなたの身を案じないでいられましょう。
君子于役     君子 役に于く、
不日不月     日あらず月あらず、
曷其有佸     曷(いつ)か其(そ)れ佸(あ)うこと有らん。
雞棲于桀     鶏 桀(けつ)に棲(やど)る、
日之夕矣     日の夕べ、
羊牛下括     羊牛 下り括(いた)る。
君子于役     君子 役に于く、
苟無飢渇     苟(いやし)くも飢渇すること無かれ。
(第二節) あなたは徴用されて出ていった。月日は数えきれぬほど過ぎさり、いつまた会えることやら。ニワトリは自分の止まり木に休み、日が暮れて、羊や牛も山からもどって来た。あなたは徴用されて出ていった。かりそめにもひもじい思いをなさらないように。

召南より「羔羊」小雅より「無羊」をご紹介している、中国最古の詩編『詩経』から、もうひとつ。王風より「君子于役」です。

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江戸後期の羊飼育。

ひつじ話

この時期に幕府が最も力を入れたのは綿羊の牧養で、寛政12年(1800)に「幕府、羊を長崎奉行所に畜う」(物産年表)とあるのを始めとして、『大日本農政史類編』は文化年間(1804─17)に「綿羊を支那に求め、江戸巣鴨に牧養せしむ」としている。
これは幕府奥詰医師の澁江長伯の建白によるもので、「後年漸次蕃殖して三百余頭に至り、年々二次毛を剪し官に納め、官之を浜の薬園にある織殿に下し、絨布を織らしめたり」と記されている。
この巣鴨薬園の綿羊については『古今要覧稿』、『宝暦現来集』にも取り上げられている。
(略)
薩摩藩もこれより先、中国から綿羊を取り寄せて放牧を行っており、天明2年(1782)に同地を訪れた橘南谿は、『東西遊記』の中で「隅州の内にはやぎの牧ありて、多く育てりという」と記しているが、この「やぎ」はヒツジの事で、同時期薩摩を訪れた佐藤中陵は「近来唐土より来る白き羊也。惣身に白毛を出す。長さ二尺余、時々切取て羅紗毛織物の類に製成す」としている(薩州産物録)。
ただし薩摩藩の試みは成功しなかったのか、文政元年(1818)に江戸巣鴨で幕府の紡績の講習を受けている。

時々お話している江戸期の羅紗関連です。その歴史についてはいちどお話したことがあるのですが、あらためて。
平賀源内の国倫織以来、日本はウールの国産化を目指して挑戦を繰り返しています。どうしてうまくいかなかったのか、不思議なほどに。

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オウィディウス 「祭暦」

ひつじ話

さて、このとき、太陽にまなざしを上げれば、こう言うことができるでしょう。
「この太陽は昨日はプリクススの羊の毛皮を踏んでいた。」
穀物の種子を焼いた罪深き継母の奸計のせいで、苗が、いつもとは違い、芽をひとつも出しませんでした。
鼎のもとからたしかなお告げを聞いて帰るようひとが送られます。
不作の大地にデルピの神がどのような救いを教えるか知りたかったのです。
ところが、この使者も種子同様に腐り切っていて、ヘレと若殿プリクススの命をお告げは求めている、と伝えます。
ついには、種蒔きの時期も迫り市民とイノが王の反対を押し切って、非道な命令を認めさせました。
プリクススと妹の二人は、額を髪飾りでおおい、並んで祭壇の前に立つと分かち合う悲運を嘆きます。
これを、たまたま天から垂れ懸かっていた母親が目にし、驚愕した手でむき出しの胸を打ちました。
雲を引き連れ、大蛇から生まれた都へと飛び降りると、そこから自分の子供たちを救い出します。
そして、逃げおおせるよう、黄金の輝きまばゆい牡羊を授けます。
牡羊は二人をのせて長い海路を通ってゆきます。

ずいぶん前に、オウィディウスの「転身物語」金羊毛にかかわる物語をご紹介したことがあるのですが、こちらは同じくオウィディウスによる、日々の暦に従って万象を語る『祭暦』からの一章です。
「三月二十三日」の章に、「三月二十二日から太陽が牡羊座宮に入ったことの表現」(訳注より引用)である「プリクススの羊」の一文のあと、牡羊座のもとになった黄金の羊がプリクススとヘレの兄妹を救う伝説が語られています。

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勝鬘院、多宝塔の蟇股。

ひつじ話

関西の羊スポットに、もう一か所立ち寄ってまいりましょう。
大阪市は四天王寺のほど近く、地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅至近の「愛染さん」こと勝鬘院です。

愛染堂勝鬘院公式HP

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こちらの境内にたつ「多宝塔」の蟇股に十二支の動物たちが彫刻されているのです。
蟇股彫刻は、これまでに、東京は上野動物園内にある旧寛永寺五重塔と、宮城県は松島の五大堂をご紹介しています。
こちらのも、また良い風情ですね。
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十二支の並ぶ位置からすると、たぶんこれが未かと。丸みがあってかわいらしいです。
せっかくなので、他の動物たちも下に。
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ご縁があれば、ぜひ。

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神戸市教育会館の石羊。

ひつじ話

かつては墳墓を守っていたと思われる、石彫の羊を時々ご紹介しています。
これまでに、京都の京都国立博物館野仏庵、東京の東京国立博物館根津美術館のものについてお話をしておりますが、このたび不可思議な場所に同種の石羊がいることを知って、兵庫県は神戸市まで行ってまいりました。
JR・阪神元町駅を下車、東口から出て鯉川筋を北へ十分ほども上ったところに建つ、神戸市教育会館の外壁です。

神戸市教育会館公式HP

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上の方に、なにか……、あ、あれか!
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もとは個人宅の玄関先を守っていたものが移されてきたとのことですが、置き場所がここというのは、すごいですね。
訪問者のためには、最高の目印だと思います。ご縁があれば、ぜひ一度。

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